公娼廃止すべからず

廃娼問題は、随分長い間の社会的問題であったが、最近愈々実行期に入(イ)らんとしてゐる。然し、之は非常に間違ってゐると思ふ。それに就いて以下私の観る所を述べさして貰ひたい。

最近の警視庁保安部の調査に依ると、公娼七千九百人、芸者九千六百七十人、女給三万人、此の外私娼(玉の井亀戸等)四千で、合計五万人余に上(ノボ)ってゐる。之が公娼廃止後は如何といふに、直ちにそれだけ私娼の増加となるは当然の事である。現在ですら、其の取締りに相当困難なるに之以上の増加は、愈々困難を増すばかりであらう。

元来公娼は、徳川時代に発達した我が国独特のものであって、社会の欠陥を補ふとしては理想的ではないまでも、之以上は今の所、見当り難(ニク)い政策と謂ふべきである。第一私娼跋扈の結果に対する病毒の伝染を如何にして防ぐや、又、需要者たる青年男子が公娼の如く一区域に限られたる遠隔地に行くとすれば、時間と経費の関係上、億劫になるであろうが、之が街に散在するに於いては、簡単に間に合ふ結果、自然其の度を増し身を過るべき機会が多くなるのは知れ切った事である。

又私娼の、市人の眼に触れ易い結果、良俗に悪影響を及ぼすべき憂ひ大いにあるなり。然るに公娼廃止論者は、外国摸倣の頭脳を以て、人間の自由を束縛する、それが非文化的であるといふ一点張りであるが、之とても実際は、案外認識不足である。

何故なれば、未(マ)だ世間知らずの特に、田舎出の処女等は、不良の輩(ハイ)の甘言に騙され、弄ばれた結果、私娼窟に売らるる事は、毎(ツネ)に新聞の三面を賑はしてゐる事実である。而して一旦、之等私娼窟に売られた結果は、其の監視の厳重なる、到底公娼等の比に非ず、彼の女等が、病毒に悩まされつつも、尚逃避するの不可能なるが為め、深刻なる悲劇を作りつつある惨状は、余りにも瞭(アキラ)かなる事実である。

以上に依ってみても、公娼を廃止すべき理由一つもないではないか、之は全く、西洋かぶれの連中が、永年執拗なる運動の結果といふべく、当局は今一度、活眼を開いて実際を認識されて善処されたいものである。

寧ろ反対に、公娼増加の方針を執り、成可く、市街を避けたる遠隔の地に、特定区域を増加し、而して、カフェー及び私娼窟を廃止すべきこそ社会政策上、良好なる結果を招致すべく私は確信してゐる者である。

(東方の光三号 昭和十年二月二十三日)