『観音運動に就て』

今日、口を開けば非常時と謂ふ。何を以て非常時と謂ふや。そは、あらゆる方面の行詰りである。政治に、経済に教育に思想に、医学に、宗教に、其の他あらゆる方面に渉って行詰りである。之に向って一大維新的打開是正を行ふに非ずんば国家の進展は固より、文化の向上と社会人類の幸福は何時の日か実現するの時あるべき。

闇深くして、黎明未だしの感あり。故に或は自暴自棄的享楽に堕し、或は矯激(キョウゲキ)の思想に趨(ハシ)り、或ひは失業地獄に呻き或は迷信の淵に沈淪し一人として其の所を得、歓喜と幸福に恵まれたる生活を楽しむ者なき世相である。

一方文化の絢爛を誇りながら、一方斯くも悲惨なる世相を現出するは必ずや一大誤謬が孰れにか伏在せざるべからず、されど此の原因の奈辺に存するかを洞察し得る一人の識者ある莫(ナ)し、故に忌憚なく云へば、寔に進歩せる如く見ゆる現在迄の学問、人智の力にても、是以上文化の発展向上は不可能の時期に到れりと云ふべきである。

先づ政治は如何と云ふに、政党政治は遺憾なく欠陥を曝露して亡状の一路を辿り、ファッショは我が国状に適せず共産主義は云々の必要無し。而して近来頻りに喧伝せらるゝ皇道政治と雖も、未(イマ)だ其理論体系さへ確立せず。実際政治に適用するには前途尚幾多の考究と試練とを経ざるべからず。次に財政経済を見んか。赤字公債激増の原因としての国民負担力と国防費との不均衡、片為替と其の原因としての兌換不能、其の他農村問題の解決等急を要する雑件多々あり。

次に教育に関しては、今日迄の学校教育は一切が西洋模倣にして、唯物万能たる西洋人を養成する西洋学校なり、今後の時代に対しては真の日本人を作らざるべからず。即ち人格的道義観念に立脚したる日本式教育を新組織の下に樹立するのである。

次に思想方面なるが、第二の国家の細胞たる青年を見よ、彼等は国家改造に急なる余り右に偏し左に傾き、遂に極端なる徒はテロに迄及ばんとし、其が又一種の社会的不安を醸成すると云ふ事になってゐる。然るに如何せん、今日の識者等は明確なる改造指針を示す能はざるを以て前途倍々暗黒なる状勢を作り之又適切なる解決を要するのである。

次に医学方面なるが、表面洵に進歩せる如く見ゆれども、実際は大いに然らず、基礎医学は顕微鏡的枝葉末節に捉はれて根本を失し特に治療医学の方面は何等進歩の跡なし。見よ、巷に溢るゝ病者、病院の満員、死亡率の減少せざる等、真に視るに忍びざるものがある。治療医学の不振は自然何々療法の著増となり、適薬の未発見は新薬の続出となり今日推奨せる薬剤も明日は捨てられ、一旦放棄されたる漢薬が復興し来れり。されば種痘薬(ホウソウヤク)以外、確定的治療薬は未(イマ)だ一種も発見せられざる有様にて、風邪(カゼ)の原因すら判明せず、西洋人と日本人との体質の根本的差異すら知識せぬのである。故に此方面に於ても一大転換の迫りつゝあるは瞭らかなり。

次に宗教界は最も危機時代にして既成宗教は十年一日の如く伝統に捉はれ自己の領域を守るに汲々とし排他的精神に充ち蝸牛角上の争ひに日も足らず。人心を教化善導するなど思ひもよらず従って此の間隙に乗じ新宗教の簇出(ゾクシュツ)となり、邪教迷信到る処に横行し、財を失ひ家庭を破り、身を滅するもの数知れず、誠に悲惨極まる現状なり。近来仏教復興の声を聞くもそは唯、学者学僧等の理論の遊戯や伝記教理の羅列に過ぎず何等人心の教化と実生活の改善に力ある莫し。

更に眼を転じて海外諸国を見んか、其の惨状は寧ろ我が国以上にして経済の行き詰り、執拗なる不景気、人心の不安、国と国との憎悪、欺瞞外交、猫眼的国際関係、利己主義者の気熄(キヤス)め会議等に時を逸す有様にて、舵なき舟で大海を航行する如き有様なり。実に唯物文化の行き詰り室伏氏の所謂文明歿落の姿は遺憾なく日日吾人の眼に見、耳に聞く処である。

斯く観じ来れば近代文化の行き詰りは、最早人間力にては如何ともなし難くして、茲に一大超人間力の出でざる限り、打開の途無き迄に迫ってゐる。其の超人間力とは何ぞ!

人類の待望久しかりし「東方の光」のそれでなくて何であらふ。此の光こそ即観音の無碍不可思議力の其である。天は必要なる時に必要なるものを生む、今や此の救世不可思議力の実体が太陽の如く燦然極東日本に顕現せんとしてゐるのである。

夫を知って沈黙なし得べきや、先づ此の小パンフレット「東方の光」を発行して警鐘の乱打に代えるのである。而して一度此の観音力の発揮するや、世界は茲に一大転換をなし、再び生々溌刺たる新世紀へのスタートを切らんとするのである。

(東方の光二号 昭和十年二月五日)