借金是か非か

私は二十数年間、借金の為凡ゆる苦しみを舐(ナ)めて来た。差押え数回、破産一回受けたるにみても想像されるであらう。それ等の経験によって帰納されたものが、今言はんとする借金哲学である。

今借金をしようとする人を解剖してみるが、単に借金といっても積極と消極とがある。積極とは之から或事業を始めるに際し、之だけの借金でやればこれだけ儲かる。即ち利潤から利子を差引いても相当に残るという計算でやるので、之は誰も知っている。

処が消極の方は入金よりも出金の方が多いのでどうしても足りない。やむを得ず借りるというのが普通ではあるが、愈よ詰ってくると、先の事など考える余裕がない。目前焦眉の急を逃るればいいと差迫った揚句利子の高い安いなど問題にせず、借りられればいいというようになる。今日新聞によく出ている高利貸の高歩の記事などがそれである。斯うなると十中の八九は崖から落ちる寸前ともいっていい。全く断末魔である。

以上が借金を大雑把に分けてみたのであるが、今度は、借金なしの場合を考えてみよう。借金無しといえば、先づ自分が現在持っている資金で事業を創める。随而洵に小規模であるのは致し方がない。例えば茲に拾万円の資金があるとする。それを先ず半分乃至三分の一位で創め、後の金は残しておくのだから、理屈からいえば頗るまだるっこい。而もその拾万円の金も無論人の世話にはならない己の腕一本で稼いで蓄積したものでなくてはならない。全く身に着いた金であるから、力が入っている。そうして出来るだけ小さく始めるのである。

此例として私は信仰療法を創めたのは昭和九年五月、麹町平河町へ家賃七十七円、五間の家を借りた。少し上等過ぎると思ったが、至極条件が良いので思い切って借りたのである。此頃は古い借金がまだ相当あったが、自分が借金によって覚った哲学を実行しようと思ったからである。

というのは、其根本を大自然からヒントを得たのである。それは人間を見ればよく分る。オギャアと生れた赤ン坊が、年月を経るに従い段々大きくなり、力も智慧も一人前となる。又植物にしてもそうである。最初小さな種を播くや、芽が出、双葉が出来、真葉が出、幹が伸び、枝が張り、終に天を摩す巨木になるのであって、之が真理である。とすれば人間も之に習わなくてはならない。随而此理を忠実に実行すれば必ず大成すると覚ると共に何事も出来るだけ小さく始める事を決心したのである。

処が、世人多くは最初から大きく華々しくやろうとする。そういう人をよく見ると其殆んどは失敗に帰して了う。そういう例は余りにも多く見るのである。世間大抵の事業はそうで、最初は大規模に出発し、失敗してから整理し縮小し止むを得ず小さく再出発して、それから成功するという例はよく見るのである。

処で、世の中は決して理屈通り算盤通りにゆくものではない。何故ゆかないかといふといろいろ理由があるが、その一番大きな点は精神的影響である。即ち返済期はキチンキチンと来るから、その心配がいつも頭にコビリついている。勿論現実は決して予算通りにはゆかない。其煩悶が始終頭脳を占領しているから良い考えが浮ばない。之が最も不利な点である。

又いつも懐が淋しいから活気が出ない。表面だけかざっても、内容は物心共に甚だ貧困であるから、万事消極的で伸びる積極性がない。という訳で、いつも不愉快でおる。商人などは安い売物があってもすぐ買えないから儲け損なう。又大抵は返金が延びる事になるから信用が薄くなる。

利子も仲々馬鹿にならないもので、長くなると利に利がつく。そうなると焦りが出る。無理をする。何事にも焦りと無理が出たらもうお仕舞だ。私はいつも此焦りと無理を戒めるが、大抵の人は案外之に気がつかない。焦りと無理は一時は成功しても決して長く続くものではない。

その例として二三かいてみるが彼の信長も秀吉も焦りと無理で失敗者となった。そこへゆくと徳川幕府が三百年の長きを保ったのは家康の方針が、最初天下をとる時から焦りと無理がなかった。彼は有名な負けるが勝ちの戦法に出たので少し無理だと思うと一たん陣をひいて時を待ち、自然に自分に有利になる時を待っていた。自然に天下が転がりくるようにした。それがよかったのだ。彼の訓言に「人の一生は重き荷を背負うて遠き途を行くが如し、急ぐべからず」とは彼の性格をよく表はしている。

今回の日本の敗戦も種々の原因はあるが、此焦りと無理が災ひした事に間違ひはない。それは最初の出発が非であるからである。其処へ気がつかず焦りと無理を通そうとしたのが原因であろう。一番いけないのは、苦しまぎれに借金の為の借金をする事である。敗戦の末期頃はそれであって、紙幣の乱発をしたのもそのためで、インフレもそれが大きな原因となったのである。

彼の英国労働党内閣が成立間もなく三十七億ドルを米国から借金したが、私は之は将来経済的苦境の原因とならなければよいがと思ったが、果せる哉その後借金に借金を重ねなければやれない事になった。今度のポンドの切下げもその現われである。大英帝国華やかなりし頃は、植民地其他からの収入年三億ポンドというのであったから、実に今昔の感に堪えないものがある。それ迄英国の健全財政は同国の誇りでもあったが、二回に渉る戦争によって今日のようになったのも、又やむを得ない運命とも言えるのである。

以上によってみても、借金は否とすべきもの、何事も小さく始めるという真理をかいたが、之を座右銘とされたいのである。尤も短期で返済可能の確信ある場合に限り、例外としての借金は止むを得ないのである。

以上が私の提唱する借金哲学である。

(光新聞三十五号 昭和二十四年十一月十二日)