医学談片集 或看護婦長の話

数年前、本教が日本浄化療法時代に講習を受けた、元陸軍病院所属、結核療養所の看護婦長をした某女の話をかいてみる。

彼女は、数多くの結核患者を扱っていたが、その殆んどは漸次悪化し、死にまで至る中に、唯一人某青年士官の患者だけは助かった。というのはどの患者も軍医の命を固く守っていたに拘わらず、経過がよくない。ところが彼のみは軍医の命を全然守らない、絶対安静を申し渡されていたにかゝわらず、ベッドにいる事は滅多にない、医師の回診の時だけソッとベッドへ入っているという訳で、彼女がいくら注意してもいう事を聞かない。

しかし、経過の方は不思議に良好だ。彼女としてはどう考えてもわからない。ついに彼は全治退院した事によって彼女の疑問は深まり、数年間は疑問の幕に閉ざされていた。ところが本療法の原理を知るにおよんで、長い間の疑問は一ぺんに氷解したと喜んで語った事を覚えている。

(光新聞三十四号 昭和二十四年十一月五日)