読売紙の記事に就て真相を究明せよ 中傷の蔭に踊る一派

去る九月廿六日の読売紙に本教を目標に、虚々実々取混ぜた下劣極まる記事をデカデカに載せてあった。越えて翌廿七日には今日迄言い古された新宗教批判の記事が出ていたが、之も主たる目標は本教団にある事はいうまでもない。此二日に渉る本教中傷の記事を公平に批判してみるも、満更無意義ではあるまい。

兎も角、大新聞といわれる読売紙が二日間に渉って相当大きく取扱った事は、本教が生れてやっと二年そこそこの人間でいえば満二歳の嬰児で、商店でいえばホヤホヤの新店であるに拘わらず、滅多に見ない程本教を大きく取扱った事は光栄身に余るものがある。先ず記事全部を通覧するに勿論公平な観方とは思えない、何等かの怨恨を蔵しているかのようである。という事は本教開祖岡田自観師の私生活や小児病的記事である。

例えば、片方の目が細いとか、抜歯があるとか、子供の不具(之はウソ)とかの類である。斯様な些事は宗教批判にどれ程関係があるのであろうか。馬鹿々々しいの一言に帰するであろうが恐らく心あるものは真面目に読み得ないであろう。勿論吾等と雖も右の記事に対し之以上の批判は馬鹿々々しくてかけないのである。然し乍ら此記事から吾等の眼に映ずる同紙の意図は、商業主義的興味本位だけではなく、その奥に不可解な謎の如きものを含んでいる事である。

右の謎というのは斯うである。先頃埼玉県下に発生した、本教を傷つけんが為の謀略手段があった。それは旧本教信者が、医師にかかり乍ら死亡した小児に対し、その父母は告訴など考えてもみないのに、横合からそれを種に本教教師を警察に告訴し、留置させたり、甚だしきはやはり子供が医師にかかり死んで、四カ月も経てから何者かが告訴したという事が新聞に出た。之は本人は全然関知しなかったというから、恐らく裁判始って以来例がないであろう。而も其為本教教師が警察へ留置されたという全然虚構の記事が新聞に出ていたが、右の全部が全然跡形もない捏造である。

右二例の外未だ他にもあるが、此様な手段で、本教がさも社会に害毒を流すように思はせ当局を動かし弾圧せしめようとした謀略である。一方一味の者が来て近く埼玉及び福島の二県に問題発生し、それが原因となって大弾圧があるから、今の中に手を打たなければ危険であると、暗に運動費を必要とするような口吻を漏す等の事もあったにみて、恐ろしく手の混んだ謀略的ユスリである事が窺われるのである。

右の謀略的行為は、埼玉県地方に限られており、読売新聞浦和支局が最も活動の主体らしいので、同地方の信者及び第三者の誤られざるよう埼玉県及び福島県下の全警察、新聞社等に、廿八号に載せた如き急告文数百枚を配布したのである。

その事が読売社としてよほど口惜しかったとみえて、犬糞的手段の表われが今回の記事となった事を想像するより外に考えようがないのである。

又、同記事の責任転嫁として、深町某、真柄某両名の名が出ていたが埼玉県は深町某の居所であり、福島県は真柄某の居所であるにみて成程と肯くであろう。今一つ解せないのは一方的の言のみを信じて記事をかいた事である。右記事が本教の信用に関わる事は、どんな低脳者でも判る筈である。それを承知し乍ら本教の調査など全然行わずかいたという事は実に乱暴極まる話で、寧ろ怪しからんとさえ思えるのである。以上が謎の本体である、之によって是をみれば、読売紙今回の行動はユスリ援護の一役を買った結果になった事は一点の疑を挿む余地はあるまい。

次に最も遺憾に堪えない点は、本教収入一日壱千万円以上と出てゐた。此計算でゆくと一ケ年三拾六億五千万円になる。二年そこそこの宗教がそんな巨額の金が集ると思ったら此記者は精神病としか思はれない。之を想像してみるに、税務署に疑惑を起させようとする苦肉の手段で、深町某の言をそのまゝ信じたのである。然し読売紙の如きが右のような犬糞手段と、そうしてユスリの援助をするような事は絶対ありよう筈はあるまい。多分何等かの思ひ違ひであらうと、吾等は善意に解して筆を擱く事とする。

(光新聞三十一号 昭和二十四年十月十五日)