芸術の使命

凡そ世にありとし凡ゆるものは、それぞれ人間社会に有用な役目をもってゐるのである。所謂天の使命である。勿論芸術と雖もその埓外ではない。とすれば芸術家と雖も社会構成の一員である以上、その使命に自覚し、完全に遂行する事こそ真の芸術であり、芸術家の本分でもある。

処が、今日一般芸術家をみる時、そのあまりに出鱈目な行動に呆れ返らざるを得ないのである。勿論中には立派な芸術家もないではないが、大部分は自己の本分を忘れてゐるというよりか全然弁えてゐないといった方が当ってゐよう。而も彼等は自分は特別の人間であるかのやうに思ひ、自己の意志通りに振舞う事が個性の発揮であり、天才の発露であるという考えの下に気儘勝手な行動をし恬として恥じないのであるから始末がわるい。又社会も芸術家は特殊人として優遇し、大抵な事は許容しているという訳で、彼等は益々増長慢に陥つるのである。

ところが芸術家たるものは、一般人よりも最も高い品性を持さなければならない事である。それを宗教を通じて解説してみよう。

抑々人類の原始時代は獣性が多分にあった事は事実で、野蛮時代から凡ゆる段階を経て一歩々々理想文化を建設しつゝある事は何人も疑うものはあるまい。此の意味に於いて文化の進歩とは人間から獣性を除去する事である。故に其程度に達してこそ真の文明世界である。然し乍ら今以て人類の大部分は戦争の脅威に曝されているので、それは獣性が未だ多分に残っているからである。故に此獣性を抜くべき重大役目の中の一役を担っているのが芸術家である。

とすれば、芸術を通して人間の獣性を抜き品性を高める事である。勿論文学を通じ、絵画を通じ、音楽、演劇、映画等の手段を通じて、その目的を遂行するのである。それは芸術家の魂が右の手段を介在し大衆の魂に呼びかけるのである。判り易くいえば芸術家の魂から発する霊能が、文学を絵画を楽器を声を踊を通じ、大衆の魂の琴線にふれるのである。つまり芸術家の魂と大衆の魂との固い連携である。故に芸術家の品性が下劣であれば、そのまま大衆も下劣する。芸能家の品性が高ければ大衆の情操も高められるのは当然である。

茲に芸術の尊さがある、言い換えれば芸術家こそ、魂を以てする大衆の指導者であらねばならないのである。

此意味に於て今日の如き社会悪の増加もその一半の責任は芸術家にあるといっても過言ではあるまい。

視よ、低俗極まるエロ、グロ文学や妖怪極まる絵画や、低劣なる芸術家が発する声も、奏する音楽も、劇、映画等も心を潜めてよく見れば右の説の誤りでない事を覚るであろう。

(光新聞三十一号 昭和二十四年十月十五日)