生活を娯しむ

今度、社会党々首片山氏が帰朝第一声に曰く、目下欧米各地の民衆は戦争に懲々し、戦争を避けるに懸命で、畢竟、生活を楽しむといふ事に目標を置いてゐるといふ事だ。此生活を楽しむといふ言葉は、所謂、みろくの世の実相であって、吾等の理想でもある。

処が、今日の世界は生活を楽しむ処ではない。そんな事は痴人の夢で現実は生活を苦しむ以外の何物でもない。

眼を開いて、此社会を見る時人間を取巻いているものは、数知れない処の苦悩である。国際関係は元より、一国の政治も経済も教育も思想も、一として良いものはなく、苦悩の原因のみである。

以上のような、今日の地獄世界に対し、一切を解決し、人類を救済するといふ事は、難事中の難事である。今日迄の宗教でも科学でも教育、道徳、何々主義、何々運動でも効果はない。恰度燃えつつある大火事をバケツの水で消そうとするようなものである。然らば、此世界を真に救ひ得るものは何であるかといふと、空前の大きな力でなくてはならない。

然し乍ら、諸君よ、右の夢が、具体化そうとしてゐる。即ち本教の出現である。万能の神の力である。数千年来全人類が期待してゐた救世の力である。此力が出現した以上、初めて片山氏の言の如き、生活を楽しむ時代が来るのだ。それが眼前に迫ってゐる。とはいふものの仲々信じ難いのは無理はないが、吾等は絶対の確信を以て活動しつつあるのである。

(光新聞二十七号 昭和二十四年九月十七日)