私は切望する

私は今、私が行ってゐる仕事の全貌を知って貰いたいのである。恐らく知ったからには私を非難したり攻撃したりする事は決して出来ない筈である。もし全貌を知って尚疑惑の解けない人がありとすればそれは精神病者か強請のイヤがらせ手段以外絶対ないであらう、と思い切って言う程自信を持っている私ではある。といってよく宗教家にあり勝ちな独善や神憑的では毫もない事である。

私によって日々数万にも上る人々が医師から見放され、凡ゆる療法でも治り得ないで、苦悩のドン底に喘いでいたものが全治の喜びに遇い健康を恢復し、病気前の仕事に従事しつつ安心立命の生活を営み得るばかりか、発病以前と違い、精神的にも何処か必ず善くなって居る事を発見する。それは一の例外もない事実である。勿論暗雲に鎖されて居た家庭が明朗化し不良青年や劣悪児童が優良化し、不和な家庭が円満となる等々の生きた実例はおかげばなし中に載せ切れない程多数に上りつつある事は、読者諸君も認識され得るであろう。

今日思想悪化、病者氾濫、犯罪増加等の世相に苦しんでいる日本が、それ等の暗黒面に向って強力なる救の力の如何に必要であるかは今更事新しく言う迄もあるまい。そうして本教を誤解し非難を浴せるものは事実真面目に本教を研究調査したものではなく、臆測以外の何物でもないのである。故に彼等と雖も本教に入信さえすれば必ず確認し得る筈である。もし事情があって入信不可能でありとすれば本教出版の新聞雑誌書籍等を一通り読まれたいのである。それだけで大体の疑問は氷解するであろう事は勿論である。

以上のような宗教的救済の外今日迄の宗教が試みた事もない観光事業や、日本美術海外紹介の施設等々は目下着々造営中であり、数年ならずして完成の暁は、恐らく日本は固より世界的に認めらるべく大いに期待しているほど、それ程劃期的芸術的のものである。勿論その構想は地上天国の模型にあるのであるが、日本人が侵略戦争によって失墜した信用を取戻すべき絶好の事業であると確信するのである。

以上の如く日本人の健康を改善し、人心を善化し犯罪を減少させ、尚且つ農業改革によって増産の実を挙げ、加ふるに観光事業に、外客誘致に、何人も行はない事を実行し、大衆の利福を増進せしめつつあるのである。随而以上の実際を認識されるとしたら、援助迄はゆかないとしても、少くとも迷信邪教扱ひは慎まない訳にはゆかない筈である。詮じ詰めれば吾々の仕事は、諸君の利益の為以外の何物でもない。

此の意味に於て藉すに数年又は十数年の時を待たれたい。その暁如何に驚歎すべき成果を挙げ、日本人の信用を高めると共に、日本が世界各国に対し、平和文化促進に如何に寄与せしかを賞讃さるる日のあらうかは、断言して憚らないのである。

再び言ふ「私の仕事を大乗的に虚心坦懐、眺めていてくれればいい」それを私は、全国民に切望するのである。

(光新聞二十号 昭和二十四年七月三十日)