早期教育の弊

今日の人間は、智慧が発達して頭脳がわるくなったというと、変な言い方だが、実はこうである。浅智慧の上っつらの小才のきく人間が多くなって、智慧の深い、ドッシリした人間が少くなったという意味である。之は何の為かという事である。之に就て私の考察によれば全く早期教育の結果である。

早期教育が何故わるいかというと頭が或程度発達しない時期に、学問を詰め込む、つまり発育と学問のズレである。本当からいえば人間は年齢に応じて、頭脳も身体も適度に用いなければならないに拘はらず、早期教育とは、七、八ツの児童に十五、六才の頭脳労働をさせるようなもので全く学問過重である。

然らば右の結果は如何なるかというと、之に就て一つの例をかいてみよう。私は小学校時代に柔道を習はうとした処、十五才以下は習ってはいけないという。それは何故かと聞くと、十五才以下で柔道を行ると、背丈が止って伸びないというのである。

勿論労働過重による発育停止のためで、それと同じやうに今日の教育をみると、十二、三才で成人者のやるような事をやらせる事を良いとしておる。成程一時は急速に智能が発達するから、良教育のようにみえるが、実は前述の如く深さの発育がなく上っつらの智慧ばかり発達した思慮の浅い人間が作られる、という訳である。

事実、日本に於ても近代政治家などは、重厚な型の大きい人間が段々少なくなった。以前のような型の大きい重厚な人物は洵に寥々たる有様であるにみて、教育に携はる者の大いに考えなくてはならない問題である。

(光新聞十六号 昭和二十四年七月二日)