亡国的産制論

私は産児制限に就て、本欄で二回論文を出したが、今回三度目の意見を開陳しようとするのである。というのは産児制限が如何に恐るべき結果を招来するかを述べてみたいのである。

それは斯ういう訳である。産制論者の多くが唱える処は、子供は二人乃至三人が適当としている。処がこれは恐るべき事で、勿論二人であれば、夫婦が二人であるからトントンという事になり、三人とすれば一人だけ殖える、即ち五割殖える場合である。だから二人は零、三人は五割で平均すれば二、三割の増加となる。

処が子供は絶対死なないとすればそれでもいいが、事実は日本人の現在程度の子供の健康から言えば、先ず二、三割は必ずといいたい程死亡するとみなければならない。特に日本の幼児死亡率は世界一とされてをり、アメリカと比較すれば同国の三十倍の多数に上るというのであるから、実に驚くべき実状である。そればかりではない、全然子供のない家庭も相当出来るであろうから、二人乃至三人を標準にするとすればマイナスは当然で、案外早く人口減少時代の来るのは火を睹(ミ)るよりも明かである。

今一つ軽視出来ない事は、産制論者が常に言ふ処の優生的見地からの解決であるが、何ぞ知らん之は事実とは逆である。何故なれば一人か二人の子供の場合、特に親は大切に育てるものであるから、甘やかす結果坊ちゃんや嬢ちゃん的の甘い意気地なしの人間が出来るのは当然でそれに引換え兄弟が多いとどうしても親の愛は届かない勝ちであるから凡て自分自身の力で事を処するといふ訳で、自力的独立性の強い人間が出来る。

といふのは単なる理屈ではない、事実が證明している。今私の手許にある実例ではあるが之は終戦前手に入れたドイツの統計である。それによればベートーベンとビスマルクが六人兄弟、モツァルトが七人目の子、ワグナーは九人目、シューベルトは十人目、彼のロベルト・コッホは十三人兄弟の一人といふ、之等の実例をみても天才や偉人は多数兄弟の中から出るといふ鉄則は外国でも認められている。

又二人や三人の子供では、全部死亡するといふ場合も実際上あり得る訳であるから、不幸な寂しい家庭が方々に出来るであらう。以上のように人口は減る。優秀な人間は出来ないとすれば将来の日本はどうなるであらうか、実に寒心に堪えないのである。故に強いて産児制限をするとすれば、先づ五人を限度とし、それ以上を制限するとして五人以上の子持に限って産制を許可するといふ方針が適当であろう。

次に、今日急に産制問題が喧かましくなった其原因は、勿論急激な人口増加からである。即ち昭和二十二年が百六十万人、廿三年が百七十万人といふ増加であるからあわて出したのも無理はないが、私の見る処では之は一時的であって、決して永く続くものではない。それは終戦後外地からの多数の帰還兵が長い間夫婦愛に飢えてゐた為に妊孕率が高かったからで、凡て夫婦生活が間隔を置く場合、妊孕率の高いのは事実が示してゐる。彼の海軍軍人や船員等に多産者の多い事である。

前述の如く百六七十万の人口増加に驚いてゐるが、戦争数年前は百二三十万増加の年は度々あったので、それに比ぶれば今は二、三割の増加である。然し之が一時的増加であるとしたら数年ならずして、戦前の状態に復帰するのは決して誤りのない観方である。否寧ろ私は復帰処ではない、此ままにしておいても人口増加停止或は減少時代が来るかも知れないと、予想するのである。何となれば昭和十二三年頃は百万台割ろうとする趨勢にあったからである。処が始末の悪い事は人口動態なるものは一度減少時代に入ると、その挽回は容易なものではない、それに就て好適例を述べてみよう。

彼の英国が数十年以前から人口増勢の鈍化であって大英帝国ともいはれた国が、四千数百万ではどうにもならない。之に就ては彼のチャーチル氏なども人口問題に就て随分絶叫したものだが、五千万を突破する事は今以て実現しない。又フランスの人口減退は世界でも有名であり、今日英国が世界一の地位を他に譲った真の原因は、人口の落勢にあった事は識者の異口同音に言う処である。其為英国の唯一の宝庫といはれた印度を手放した事も、印度を管理するだけの兵士が足りなかったからといはれている。

是に於て我日本を省る時、軍備撤廃と共に、将来戦争による領土拡張などは想ひもよらない事だが、経済的、文化的に世界平和に貢献しようとしても或程度の人口数を維持出来ない限り不可能であらう。考えてもみるがいい、人口が減少するとしたら、国力は疲弊し、国民の意気は消沈し、暗澹たる運命に陥らないと誰か言ひ得るであらう。

以上の如くであるから現在行はうとしている産児制限の如何に誤って居り国民をして悲運のドン底に陥らしむる危険政策であるかは以上の事実によってみても明かであらう。

(光新聞十六号 昭和二十四年七月二日)