貧乏の原因

本教のモットーである、病貧争絶無の世界を造るといふに就ては病気に関する事は、凡ゆる角度から相当検討し解説したつもりであり、尚今後も引続き、神示の医学として解明する筈であるから、次の問題である貧と争に就てかいてみよう。

抑々貧の原因は勿論健康の破綻からである事は言ふ迄もないが、それ以外の原因にも重要なものがあるから、それをかいてみよう。

貧の原因が、病気の為働けないばかりか、多額の医療費を要する事、それも短期間ならいいが、長期に渉るとすれば、勤務先は馘になり、病気の悩みの外生活苦も加はり、二重の責苦に遭ひ、前途不安の暗雲に閉され、進退谷まり、その苦悩たるや実に地獄のドン底ともいえるのである。

斯様な境遇にある不幸な人々は世間到る処に充ち満ちているのである。そういふ多くの不幸者が、本教を知って忽ち地獄から脱出し、前途に光明を認め、歓喜の生活が開始されると言う実例は、おかげばなし中に、無数にみられるのである。

これだけで貧の大半は、解決出来るのであるが、尚進んで今一つの重要事をかき、絶対的貧の解決の秘訣を知らしめるべく、私の体験をかいてみよう。

私は若い頃無信仰であり乍ら、社会改善の志望やみ難く、それには新聞事業程効果なるものないと思ひ、調査した処、当時百万円位を要するとのことであった。私は貧乏人の伜で、親から貰った僅かばかりの金で世帯を持ち、九尺間口の小間物小売業を創めた処、大分成績がよいので、一年余りで問屋を創め、十年位で業界から成功者と言はれるようになり、資産も、当時の金で(大正八年頃)十五万円程を贏ち得た。

そこで新聞事業の資金を早く獲得しようと大いに焦って手を拡げすぎたため遂に大失敗をし、逆にマイナスになってしまった。その結果最早新聞事業処ではないと諦め、苦しい時の神頼みで宗教に趨り波瀾重畳の経路を辿りつつ多額の借金に苦しめられる事約二十年程であった。

然し今考えてみれば、これが私の難行苦行であったのだ。世の常の宗教家といえば山に入り滝を浴び断食をするといふやうな訳だが、私はそれよりも一層の難行であり苦行であると思った。勿論貧乏のドン底に喘いだ事も一再ではなかった。その時覚り得た貧乏哲学をこれからかくのである。

凡そ貧乏の原因は、病気以外は借金である。人間借金をしなければ決して貧乏にはならないといふ結論を得た。といふのは借金をすれば返済の期日が必ず来るとすれば、払ふ金は確定的だ。処が入る金は決った日が来ても大抵は延びるものだ。そこで喰違ふ。

又借金は皆済するまでは一日の休みもなく利子がつく。故に算盤では儲かるようにみえても、利子を差引くと、案外儲からないことになる。又借金は絶えず精神的に脅かされ、心に安心がないから良い考えが浮ばない、智慧が鈍るといふ訳である。

以上の如くであるから、世間多くの失敗者や、貧乏に落ちる人の殆んどは借金が原因といってもいい。此意味を悟った私は常に人に向って言ふことは十万円の資本があるとすれば、先づ三分の一、三万円で商売をしろといふのである。

此様な行き方は、最初は小さいようではあるが、実は時が経つと案外大きくなるものである。といふのは三万円なら少々失敗があっても此次は失敗の経験で知識を得てゐるから、別の方法で、又三万円で創める。これで大抵は成功の緒に着くものである。

万一それでも失敗したら、最後の三万円でやれば、今度は必ず成功するのである。処が世の中で大抵の人は十万円の資金をもつと資金一杯で創めるか、中には反って五万円の借金を足して十五万円で創めるという訳で、実に冒険である。故に失敗したら最後、再び起つ能はざる致命傷を蒙るのは当然である。

処が私のいう行り方だと資金に余裕があるから非常に安いものとか、確実な金儲があればすぐに乗り出す事が出来るから、案外ボロイ利益を得る。それに引換え、資金が手一杯だと支払に間誤つく様な事もあり、延ばすような事もあり得るから信用が低下する。処が余裕があると、いつも支払は確実だから信用が厚い、という訳で種々な利益がある。此事に就て私は大きい例をかいてみよう。

日本が今日の如き敗戦国となったその最大の原因は借金政策である。之に気のつく人は余りないようであるが、これは大いに関心を持たなければならない。今次の大戦前までは日本の貿易は年々輸入超過であって、借金は年々殖えるばかりで、終には借金のための借金をするようになってしまった。その借金でどんどん軍備を拡張し、領土を拡げ益々侵略の手を伸したのである。

勿論国外の借金ばかりではなく、国内の借金、即ち公債政策も極度に拡張した。今赤字で困ってゐる国鉄もその遺物であったといふ訳で、もしも日本が此借金政策を行はないとしたら、侵略の野心家も或は出なかったかも知れない。

そればかりではない、年々貿易は出超となり、富裕な国になったに違ひない。その結果平和的文化は大いに発展し、国民の道義は昂揚し世界で羨まれるような幸福な国家となったであらう事は勿論である。

此ような富裕国とすれば、食糧の不足は必要だけ楽に輸入されると共に、日本人の平和的である事の安心感を各国に与える結果、広范の土地の所有国は挙って日本移民を歓迎するであらうから、産児制限の必要などはあり得べくもないといふことにならう。

国家でさえ、借金政略の結末は以上の如くであるとすれば、個人と雖も何等変る処はないのである。

貧の解決法は以上によって理解され得るであらう。

(光新聞十五号 昭和二十四年六月三十日)