健康による天国化

キリストの一大予言である「天国は近づけり」との獅子吼は固より、凡ゆる宗教の目的とする処はより良き世界即ち人間から苦悩を除き、歓喜に浸る生活の具現にある事は言ふ迄もない。此一致した理想に対し、遺憾乍ら現実は実現処か地獄の境界から脱却するさえ前途遼遠の感がある。洋の東西を問はず、昔から宗教、哲学、道徳、教育等によって懸命の努力を払ってゐるにも拘はらず、今以て何等の進展も見受けられないのが事実である。特に悲劇の根源とも目すべき人間の健康に就ての解決に至っては何等見るべき進歩のないのは、吾等のみが言ふ処ではあるまい。

此事に就ては、我々は常に耳にタコが出来る程説いてはゐるが、此問題に限って説き過ぎるとは思はれない。何程繰返しても新しい感がある。何となれば此健康問題が立派に解決されない限り、他の凡有る条件が全部具現するとしても何等の意味をなさないからである。然るに今茲に本教によって完成された処の信仰療法は人間の凡有る病患を除去し、完全健康体に復す事が可能であるからである。

此様な大発見は現代文化の水準を抜く事あまりにも高い為反って誤解を受ける事さえある。故にただ言葉や文章だけでは受入れ難いのは致し方ないのである。恰度地上にある人間が屋根の上に居る人間の頭上が見えないのと同様であらう。

見よ、一切の悲劇の根源を探究する時、必ずそこに病患の原因を見出すであらう。若くして結核に倒れる者、今や高等学府を出でんとする間際に同病に犯され、而も其親は唯一の希望を失ひ前途暗澹たる運命に投げ出される者、中年者にして事業半途に挫折したり、漸く基礎が成って大いに飛躍せんとする時、病魔の為に進退難に陥る者等々、数え上げれば社会到る処悲劇の材料に満ちてゐる。それに対して進歩せる医学も既成宗教も、相変らず努力は続けているが、何等光明を見出す処ではなく自分自身の保身すらやっとであろう。

此様な悲惨極まる今日此世界に突如として現はれたのが本教である。本教が尽くる処なき悲劇の解消に如何に大なる貢献をなしつつあるかは一度本教に入信し実体を把握した者は容易に納得がゆくのである。

然るに、或種の人は日本観音教団という新興宗教がまた出来た、どうせ迷信邪教の類に違いない、そんなものに此忙しい時間を割いて堪るもんか、そんな暇があったら映画か野球でも観る方がマシだ位に片附けて了うのがオチであろう。勿論ジャーナリストと雖も観方は同様である事は、彼等が筆を執る時、新宗教批判の記事は定型的とまでなっている処の「終戦後人心の混乱に便乗し、インチキ宗教をデッチ上げ、無智な民衆を騙かしてうまい汁を吸ふとは怪しからん」と言うに過ぎないのである。之を吾々からみれば、ナンセンス以外の何物でもない。

そうしてパリサイ人共は中身に触れないで包んでゐる風呂敷だけをみて中身までも見透したやうに独善観を振廻して得々としてゐるが、そのうちに自分や家族が病気に犯され入院したり、不幸に遇ったり、多額の財を費したりして相変らず地獄の生活から脱け出られない者も相当あらう。そればかりならいいが、誤れる独我思想を言論機関を通じて一般大衆に呼びかける以上大衆は迷蒙に陥り、社会を暗黒に導くという其罪寔に大なりといふべきで、之等唯物主義者等の行動が社会悪の減らない原因の一つに数えらるるのである。

此哀れむべき仔羊等に光明の出現を知らせ心の盲を開眼し、救の網を投げかける事こそ吾等に課せられたる天の使命と信ずるのである。

(光新聞号外 昭和二十四年五月三十日)