日本再建の指針

私は今日本今後の国策を論じてみようと思うが、その前に先づ日本という国の使命を語らなくてはならない。抑々此世界に於て数多くの国があるが、何れの国といえども神が世界経綸の必要上、それぞれ本来の使命を与へてある。元より日本と雖もそれに漏るる筈はなく、特殊の使命のある事も当然である。

然るにその使命が今日迄判然としていなかった為、人間の勝手な解釈の下に甚しい間違いを行い其結果現在見る如き惨憺たる国家となった事は今更言う迄もない。日本歴史を繙いてみれば明かなる如く、昔から英雄や豪傑が輩出し、其殆んどは戦争と言う暴力を振って権力を掌握し、人民を塗炭の苦しみに遇はせ、国土を荒廃に帰せしめた罪悪は随所に見らるるのである。

之を一言にして云えば、日本歴史は権力者の権力奪い合いの記録でしかなかったと言ってもいい。そうして其最後の大詰が今次の太平洋戦争であった事は疑う余地のない事実である。それが為、建国以来人民は権力争奪の為に如何に大なる犠牲を払はせられたであらう。全く日本には人民の歴史というものが無かったにみても明かである。

然し右の如き長い期間中に間歇的に平和時代もあった。飛鳥、白鳳、天平、平安、足利、鎌倉、桃山、元禄享保、文化文政、明治等で其間短い乍らも平和文化の発達があり、その遺産として今日僅かに残っているものもあるが、それはその時代を語る絵画、彫刻、美術、工芸品等であるが、此僅かな平和期間にして尚且今日見るが如き素晴しい美術品が製作されたという事は、日本人が如何に卓越せる美的要素を有しているかが知らるるのである。

次に日本の風土である。日本位風光明媚なる国は他にないという事は外客の絶讃措かない処である。又草木、花卉類の種類の多い事も世界に冠たるものがあり、四季の変化も他国にその比を見ないそうである。それが山川草木の変化に現われ、春の花、夏の青葉、秋の紅葉、冬枯等それぞれの季節美を発揮している。

又建築に於ての木材其他の自然美を活用する技術も特有のものであり、美術及美術工芸品に於ての淡白と気品に富んだ香り高い日本画や独特の蒔絵、陶磁器等に至るまで、外人の垂涎措く能わざる処のものである。戦争中、京都奈良の美を保存すべく彼のウォーナー博士の努力によって空襲を免れたという事も外人としての日本美術の理解による為であった事は勿論である。其他食物に於ても魚介野菜の種類の多い事と、調理法のその一つ一つが自然の味を生かす技術も独特の文化であろう。

以上によって考える時、日本本来の使命が那辺にあるかを窺い知らるるのである。それはいうまでもなく、自然と人工の美を以て世界人類の情操を養い、慰安を与え平和を楽しむ思想を豊かならしむべき大使命のある事である。之を具体的にいえば日本全土を挙げて世界の公園たらしめ、凡ゆる美の源泉地たらしむる事である。

然るに何ぞや、本来の使命と凡そ反対である処の軍国主義をモットーとし長い間それに没頭他を顧みなかった事で以上の意味に目醒めて深く考える時如何に誤っていたかを知るであろう。見よ、敗戦の結果、軍備撤廃という空前の事態も、全く日本の真の使命を悟らしむべき神の意図でなくて何であろう。そうして軍備廃止に就て、日本人中無防備国家として憂慮する向も相当あるであろうが、それは杞憂に過ぎないと思うのである。何となれば日本が世界の公園として、善美を尽し、地上楽園の形態を備える事になるとすれば万一戦争の場合、敵も味方も之を破壊する勇気は恐らくあるまいと思うからである。

本教団に於ても、茲に見る処あり、已に着手し又は準備中のものに、箱根熱海の風光明媚なる地点を撰み、庭園美、建築美の粋を尽した小規模乍ら将来に於ける地上天国の模型を建造製作し、それに附随して美術及び美術工芸品の海外紹介所ともいうべきものを設置し、又花卉栽培とその輸出を目的とする一大花苑を企画し、熱海の隣接地に目下三万坪の土地を勤労奉仕隊の手によって開発中である。

之に就て特に言いたい事は、日本の多くの輸出品中最も特色ある繊維品は或限度を越える事は困難であり、機械類、造船、汽車電車、自動車、自転車や雑貨等も、高度の文化国へは大衆向の普通品に限られ、民度の低い国の需要を漸く満す位である。高級機械類、雑貨、文化資材等に至っては米国初め他の先進国に追つく事は前途遼遠であろう。

以上の意味によって、今後日本のとるべき国策としては観光事業と美術及び美術工芸品、花卉類の輸出を措いて、将来性のあるものは殆んど無いと言っても過言ではなかろう。

然し乍ら最も関心事であるものとして日本人の健康問題がある。如何に観光施設が完備し、外客憧憬の的となったとしても、伝染病や結核が瀰漫してゐては、折角招待しようとしても美邸の門を閉しているようなものであろう。又今一つは日本産の野菜である。日本古来の人肥の如き寄生虫伝播の恐れあるものを使用する一事は、外客誘致上少からぬ障害となろうから、本教の主唱する無肥料浄霊栽培法を実施すべきで此点実に理想的である。之によって右何れもの障害は除去され得るのである。

大体以上の説明によって略ぼ認識されたと思うが、日本の国土に之等計画や施設が完成された暁、吾等が唱える地上天国は如実に出現さるるのであって如何なる国といえども此事を歓迎しない筈はあるまいと思うのである。

(光新聞号外 昭和二十四年五月三十日)