○○区区会議長兼府会議長○○○氏 五十四歳
此患者は、最初軽微の消化不良で、念の為診断を受けておかんと○大に赴いたのである。其時の診断によれば、胃癌の初期であるから、今手術をすれば絶対に治癒する。今が最も切り頃であると、口を極めて、手術を勧めたのである。而もそれは、日本で有名な○○○○の博士であった。其時である「勧める者」があって某氏の所へ来たので、探診した処、未だ、癌といふ程にはなってゐない。そうであった、単なる水膿溜結が心窩(シンカ)部から横隔膜下部に、長さ一寸五分、幅一寸位の大きさにあって、治療をすれば二週間位で全治する程のもので、其由を言って、極力手術の不要を勧告したそうであるが、四五回目に来た時であった。其患者が愬えるには何分にも○大の有数なる博士三人が、今が切り頃である。絶対に請合ふと言ふのを「何故」逡巡してゐるのかと、周囲の者から強要されるので、迚(トテ)も堪らないといふのである。某氏も、夫等の反対を押切る事の不可能であるのを知ってそれなら止むを得ないから、貴下の随意になさいと言ったそうである。そこで、早速入院して手術を受けたのである。約一ケ月で病院を退院し、湯河原へ静養に、二ケ月計り滞在したそうである。然し、病気は一進一退で思はしくないので帰京した処、其の後、日に悪化し、帰京後、一ケ月余にして、終に逝去したのであった。手術後、約四ケ月にして生命を失ったのである。
此例は、突々怪事であって、人道問題としても、充分に価値があるであらう。若し、此患者が、医療をせず放置してをったとしたら先づ「二年や三年」の寿命は、充分保ち得たであらう。然るに、医療をしたが為、生命を短縮したのは疑へない事実である。而も、日本有数の大家が、三人迄生命を保證したに係はらず右の如き不結果に帰したとは、一体どうした事であらふ-其の当事者の弁明を聞きたいものである。
(大日本健康協会一号 昭和十一年四月二十九日)