仁斎先生創建にかかはる「新日本医術」の卓越せる治病実績は、経験者でなくては、実に信ずべからざる程のものである。現在迄の凡ゆる方法と比較して十対一か、百対一か量る事が出来得ないであらふ事である。此治療法が社会へ知識さるゝに従って、歴史以来の一大センセーションを惹起せずには措かないであらふ。殊に欧米に於ける医学界の驚異は、殆んど想像を絶するものがあらふ。彼の釈迦基督を初め凡ゆる聖者達が遺した如何なる功績と雖も、之に比較すれば、万分の一にも当らないであらふ事は、断言して憚らないのである。それは何か、一言にして言へば全人類からの病苦祓除であり、延命の完成であるからであって、如何なる聖典も、如何なる経文も、現在の生命を救ふ力はあり得ないのである。
然し、人は謂ふであらふ。現在の生命よりも、永遠の魂を救はれれば可いではないかと、然し此言は虚構であり、諦めであり、詭弁であらう。何となれば、現在の生命を救ふ力の無い者が未来を救ふ力は有り得ない。未来とは現在の生命の延長でしかないからである。故に、現在と未来とは、別々のものを継合せられたものではない。其儘の持続であり、延長であるのが実相である。視よ、現在の太陽も未来の太陽も同一である。又、過去の吾も、現在の吾も未来の吾である。釈尊が輪廻を説き、基督が永遠の生命を説いたのも、それであった。それが何時の間にか歪められ御都合的迷語になって了ったのであらう。
全人類よ。黎明が来たのだ。最早、眠りから醒めなければならない秋が来たのだ。如何に惰眠を貪らふとしても、赫々たる太陽の光は醒まさずには措かない。そうして、太陽の光はあらゆる偽装もトリックも邪曲(ジャキョク)も、其実体を暴露されない訳にはゆかないであらふ。今や「大千光明世界」は実現せんとしてゐる。
そうして其治病力が、如何に絶大であるかといふ実例を、逐次発表するのであると共に、○○○○に於ける○○の不完全と、○○法の未完成であるといふ事の実證を示して、世人を覚醒せんとするものである。
(大日本健康協会一号 昭和十一年六月十五日)