結核撲滅の大方策と健康日本の建設 霊的療法の不可

抑々我療病法は、今日迄の凡ゆる療病法と異り-霊に偏せず-体に偏せずして、霊を治し-又-体を治す療法であって、全く古今に絶してゐる療法である。

茲に、従来の療法たる霊的及び体的療法に就て解説してみよう。先づ霊的療法とは、或種の宗教--祈祷者--行者等が行ひつつある一種の祈念的療法とも言ふべきもので、夫等は人も知る如くヤレ死霊の祟りとか、亡霊が憑いてゐるとか、狐霊--天狗--龍神が悩めてゐるとか、祖先の霊が病気にしてるとかいふ類であって、之を法力祈祷力にて退散又は、得度改心さす等の手段を執るのであるが、之も全然迷信として片附る事は出来ない。

確に前述の如き霊的原因によって、起る病気は多々ある事も事実である。然し乍ら之は非常に困難な事であって、よく祈祷者達が言ふ如く--果して祖先の霊であるか、祖先の霊ともあるものが、何が故に子孫へ憑依して病気を起させ--苦しめてゐるのか、又--死霊生霊--狐狸--龍神が、何が故に憑依せしか、又は果して人霊であるか動物霊であるか、正確に見別ける事が可能なりや否や--事実--それが正確なりとするも現代の一般人が、夫を承服し得るであらう乎といふ事である。又--各種の霊を見別くる迄の霊眼や霊覚者たるには、どれ丈けの修行を積まなくてはならないか、夫等霊能を得るには職業を抛って、何年も山へ篭り断食等をなし難行苦行をしなければ、中々得られないものである。従而--世界人類は愚か日本「一国」どころか一都会を、救ふ丈けの人間を養成する事も実際上出来得ないであらう。

又--仮に悪霊退散に依って、治病の目的を達し得たとしても其追払はれた悪霊は、一体どうなるんであるかといふ事である。悪霊は常に人間を苦しめんと、絶え間無く狙ひつめてゐるし--現代の如き汚れの多い人間が充満してゐるから、悪霊が入らうとする人間は随所に転がってゐるのである。故に--一時立退きを食って、宿無しになった悪霊は、沢山ある空店を選んで憑依するのは当然である。

斯様に--一方を助けても直ぐにお代りが出来る様な救ひでは、何にもならないのである。故に「本療法」の治療は悪霊などに係はりなく霊的浄化法を行ふのであるから、憑依せる悪霊も倶に浄化されて、悪霊は善霊に変化して了ふのである。

又--悩める患者に憑依せる悪霊を、一時退散さして小康を得るとも、依然として精霊の浄化作用が行はれなければ、再び相応の悪霊が憑依するのは知れ切った事である。故に邪霊退散などの方法は、ホンの一時的であって完全な病気治療とはならないのである。

(大日本健康協会一号 昭和十一年六月十五日)