吾人が、いつも多くの患者の口から聞く、医師の言葉に甚だ当を得ない点がある。それは斯うである『貴方の病気は神経である。痛みも、不快も、恐怖も悉く神経作用であるから、神経さえ起さなければ治るのである』と曰ふのである。之は、一寸聞くと尤もなやうであるが、よく考えると可笑しな話である。患者がヨシンば神経で病気を起すとしたら、其病気を起す神経が病気なのであるから、其病的神経を治すべきが本当ではあるまいか。
処が尚よく考えれば、そこに不可解な点が含まれてゐる。何となれば斯ういふ訳になる。それは『貴方の病気は私では治らない。私には貴方を治す医術は持ってゐない。因って止むを得ないから、貴方自身の力で治すより外に仕方がない。自身の力で神経を起さないやうに一生懸命努力するのである』と曰ふのである。
之に就て最近、斯ういふ例がある。それは○○医大の○○科医長で、日本屈指の某博士が匙を抛げた患者が某治療士の所へ来たのである。其患者は約一ケ年某病院へ通ひ続け、注射其他あらゆる療法を受けたに係はらず何等の効果もなかった。そうして、其患者の病症は頭脳の中で、自分の正当な思慮以外、今一つ他に何者かがゐて、それが絶えず一種の妄想的思念を起させ其妄想が本来の思念を打消さうとするのである。然し、肉体的健康は頗る可良であるから、外観は病人とは思えないに係はらず患者は非常に苦痛なので、それを紛らはす為に絶えず大きな声で、喋舌り続けやうとしてゐるに見ても其苦悩は想像されるのである。そうして最後に、其博士が言ふたそうである「貴方の病気はもう治ってゐる。然し、妄想が邪魔する時は何か忙しい仕事をして紛らはせればいいでせう」との宣告であった。
然るに患者自身はそれ迄あらゆる手段で如何に紛らはさうとしても、効果が無いのをよく知ってゐるので、反す言葉もなく悲観のドン底に墜ちて了ったのである。随而、日本有数の大家でさえ治らないものが、外に治すべき医師も方法も、ある筈が無いと諦めて懊悩の日を送ってゐた所、其患者の親戚の紹介によって治療所へ来たのであった。そうして、一ケ月余にして全治し今日は非常に喜んでゐる。
繰返して私は言ふ、神経作用といふ事も確にあるにはあるが、如何に神経を起さうとしても起らない迄になるのが真の治癒である。根本的全治した場合は、如何に神経を起さうとしても、起り得る筈が無いのである。故に前述の如き、○○の患者に対する○○に不可解な点が無いとは言えないと思ふのである。
(大日本健康協会一号 昭和十一年六月十五日)