邪神と没落

キリストにサタン、釈迦に提婆は誰も知ってゐる処であるが、吾々と雖もサタンや提婆が常に根気よく狙ってゐる。面白い事には、時期の切迫につれ、彼等邪神は愈よ躍起となって、昨今は獅子奮迅の勢で活躍してゐる事で本紙にも近頃目立って掲載されてゐるから知らるるであらう。之等によってみても、邪神の運命の最早目睫に迫ってゐる事が想察さるるのである。という事はキリストの言った最後の世の前夜ともいうべき今である。

一口に邪神というが、邪神にも大中小種々あって、その頭目は兇党界の支配者で、曇りの多い人間程邪気の霊線によって自由自在に操られ、神に対し不知不識妨害手段をとるのである。処が邪神は今日迄何千年間思うまゝに振舞って来たので、霊界の転換を知らず今迄通りと思って悪を続けてゐるのである。然るに愈よ霊界の転換が寸前に迫ったので、彼等は眼が醒めぬまま周章て出したのも無理はないのである。

といふ事は、邪神の最も恐れるのは光であって、霊界が昼となるに従って光が強烈となるのである。即ち邪神の恐怖時代が来つつあるのである。それは邪神は光に遭うや萎縮し活動する力が弱るのである。此例として心霊研究会等に於て、電気を消し真暗にしなければ霊の活動が出来ないという事は、それが為である。此場合よほど神格を得てゐる霊でないと、光の中では活動が出来ないからである。

以上の理によって、本教に向って妨害するものは、観音力から発する光を恐れるので、彼等邪神界は何とかして此光を防止しようとして凡ゆる妨害を行ってゐるので、それが昨今の彼等のあわて方である。然るに昼の光とは太陽の光線であるから、如何に死物狂いで防ごうとしても徒労以外の何物でもない。処が茲に何人も警戒しなければならない一大問題がある。それは邪神に加担したものは、最後の審判の場合、永遠に滅ぶる運命者となるのである。故に愈よとなるや、何程後悔しても先に立たずで、滅亡するのは必定である。随而何よりも今の中悔悟遷善し、神の大愛に抱かれ、悪から脱却し、善人の仲間に入り、歓喜の生活者となって永遠の生命を得なくてはならないが、それを吾等は奨めてやまない所以である。

(地上天国十号 昭和二十四年十一月二十日)