此標題を見た人は合点がゆかないであらうが、以下の説明によって成程と納得がゆく筈である。本教団に対し、全国の新聞を賑はした彼の税金問題は大抵の人は知ってゐるであらう。実に二五二四万四八三二円一八銭也(既納税額を含む)といふ箆棒な税金をかけられたので流石の吾々も仰天したのである。此高額の税金は昭和廿一年一月から廿三年十二月まで三年間に対する課税である。廿一年廿二年は収入は僅かであった。其訳は廿二年七月までは浄化療法と唱える民間療術であったからで、それが翌八月から宗教法人日本観音教団の名の下に宗教的活動に入り、それから収入が殖え始めたといふ訳で、廿二年八月から廿三年十二月までの僅々十四ヶ月間に対する課税が主なるもので、その分が概算千五百万円位にならう。此取調べに対して数人の税務官が、毎日出張して一ヶ月余もかゝったのであるから、決して誤算などありよう筈がなく先づ正確である事は太鼓判を押してもよからう。
以上のような多額の税金をかけられたその基本収入が何千万円といふのであるから、誰しも驚くと共に、一体全体どんな不思議の謎があるといふ事は、本教団を知る限りの人は、誰しも知りたいであらう。そこで吾等とその収入の基礎的原因である謎の正体を茲に赤裸々に露呈してみるのである。
抑々、本教団はいうまでもなく宗教団体である以上、十数万に及ぶ処の信徒が御利益に対する感謝の財物や御利益を願ふ為の奉納金、参拝の御賽銭金が全収入で、之は一般宗教と同様である。ただ違ふ処は開教誠に僅かな期間に驚くべき収入があった事で、之が問題になるのである。然し之によってみても如何に本教信者の御利益が素晴しいかといふ事が推定される訳で、それを茲にはっきりさせようとするのである。
抑々、本教団に於ては本教の創始者として吾等が尊敬の的ともいふべき、岡田大先生が揮亳なされる処の文字の不思議である。光の一字を書かれた幅一尺、丈二尺三寸の紙片を折り畳んでお守に掛け、或は光明如来と書かれた巾一尺二寸、丈三尺五寸の縦の幅を床の間へ掛け、礼拝する事によって実に驚くべき奇蹟が起り、顕著な御利益を戴けるといふ。第三者としては到底理解出来得ない程の事実である。その為感謝感激のあまり財物をお礼として献上するしそれが教団の全収入である。此不思議な現象に対し、大先生の説明によれば『神霊が自分の手を通して文字に印せられるのである。その文字へ霊線によって不断に或高級神霊が霊界に於ける観世音を通し、自分の霊体を又通し、お守を又々通しお守拝受者の霊体を通して病患を初め種々の物体に放射され、驚くべき効果を挙げるのである。つまり無機物が有機的存在となって活動するのである。之等を現代人に理解させる事は誠に至難で、今の所之以上の説明は不可能である。右のように自分のやってゐる事は全く見えざる力の行使であるから、結果である処の御利益を以て実證するより外致し方ないであらう。』
以上の如く文字が生物の如く躍動し、見えざる力の活動となり、それによって生れた収入が課税の対象となったのであるから、課税の原因は霊即ち空である事に間違ひはないとすれば実に可笑しな話で、世界の何処を探しても、此霊に対して何千万円の課税の対象になった例は恐らくないであらう。
然しながらよく考えてみれば、現在の政治は一切が唯物一点張りで作った法規が元であり霊などといふ見えざるものは、テンデ問題にしないのであるから、此場合霊と税とは全く矛盾してゐる訳である。とはいふものの当局は収入そのものだけを見て、その収入の生れた原因などはどうでもよい。唯より多くの納税を得なければ国家の経済が成立たないといふ緊迫せる今日の状況であってみれば、吾等も国民の一員として又止むを得ない処と諦めて、一生懸命に納税を済せる事に目下努力中である。
(地上天国四号 昭和二十四年五月二十五日)