理論宗教と行動宗教

抑々 宗教の目的は何であるか--などと今更鹿爪らしい事をいふのは野暮であるが、さらばといって軽々に取扱ふべき問題ではない。近頃のような物騒な世相は黙ってみてゐる訳にはゆかない、何とかしなければならないとは誰しも思はない訳にはゆかないであらう。事実安心して生活が出来ないといふのが現在の世相である。而も年少犯罪者の殖えるといふ事も実に寒心に堪えない処で、日本の前途が想ひ遣られるのである。

当局も厄気となって犯罪防止に大童であるが仲々予期の成果は挙げ得られない。そこで心あるものはどうしても精神的方面から改善してかゝらねばならない事に気がつくのであるが、如何せん現在ある処の日本の宗教はどうにも手の出しようがないようである。何故なれば今日宗教界のエラ方などは、仏教哲学や古典研究に耽けったり、学校の教授になったり、中には殿堂の奥深く隠れて著述や経文の筆写等に余念がない。教主様はといえば錦繍に纒はれ、生神様や生仏として雲の上に安居し、俗界との交渉は伝統に背くかのように思はれてゐる。偶々民衆に伍して宣伝する専門的布教師もあるが、その言ふ事が民衆の生活にアッピールする力がなく、実生活に喰入り得ない恨みがある。彼等は声を嗄らして仏教理論を説くと雖も空理空論が多く、世を救ふ力は甚だ微弱と言はねばならない。之等現実に即しない宗教を私は理論宗教といふのである。

以上の如くであるから、本当に社会同胞を救はうとするには、理論だけでは間に合はない、どうしても直接民衆生活に突入し、信仰即生活といふまでに溶け込まなければ駄目である。私は之を称して行動宗教といふのである。然らばその行り方はどうするのかといふと、例えば今最も日本の悩みとしてゐる処のインフレによる生活苦や、その原因である食糧政策、又それに関聯する労働問題、其他犯罪の防止、政界の浄化、結核問題等々、実に早急に解決しなければならない問題が山積してゐる。吾等は之等に対して宗教的批判の鋭いメスを揮ひ、生きた行動によって解決しようとするのである。

此意味によってわが教団の今現に行ひつつある事業も、之から大いに行はんとする計画も、此線に沿ふて進んでゆくつもりである。先づその具体化として最近手を染め始めたものに、熱海より十国峠へ向って約一里の地点に、気候温和にして風光明媚なるなだらかな起伏に富んだ、高燥なる約十万坪の土地である。水も豊富で電力設備も完全である。之は某篤志家から無償で借受け開発に着手したのであるが勿論信徒のみの労力奉仕によるものであって、大体此事業の目的は二つある。一は無肥料栽培による食糧増産で、理論よりも実際成績を天下に示す事であり、之によって食糧問題解決の一助たらしめんとするのである。そうして当農園は現在三町歩に渉って水田畑作等の耕作をしてをり、乳牛も数頭あり、高い山は遠く離れてゐるから日当りがよく、熱海の海浜は一眸(イチボウ)の下にあり、而も檜三十万本、杉七万本あって、何れも二三十年を経て居るから、将来如何程の建造物に対しても事欠かぬといふ特点がある。又将来は果樹園、花卉栽培、養鷄、牧畜、酪農、綿羊等、出来るだけ多角農業の計画を樹ててゐる。

次に今一つの目的がある。それは虚弱者、病後の要静養者、特に軽度の結核患者に  対する神霊放射能による、信仰療法である。之によって今最も重大視せられてゐる結核問題解決の一助に資せんとするものである。勿論右療法の結核に対する治癒率の素晴しい事、療養費を一銭も要せざる事、結核は絶対に感染せざる事等の吾々の理論を如実に示し、従来の誤れる結核療法の蒙を啓かんとするのである。決して大言壮語するのではないが、漸次日本から結核を追放してしまふ自身をもって実行に取掛らんとするのである。

(地上天国三号 昭和二十四年四月二十日)