おかげばなし批判 浄化を知れ

医学で手のつかぬ全身麻痺は救はれる

愛知県K・V

昭和二三年一一月某日仕事を終えて帰宅致しましたら何となしに足の踏ン張りに身体がこわく、痛いのかと思うとそうでもなく重々しい訳も判らない変な気持ですから明日の仕事(トラック運転)を予測して足でも不自由になったら大変だと感じ、懇意な医師のもとに行き症状を訴えて注射をしてもらい家に帰って床につきました。翌朝妻に起されて目ざめ慌てて立上ろうとしてバッタリ倒れたままどうしても立上る事が出来ないのです。別に痛みもなく何等身体に障りはないのにも不拘手も足もきかない。暫時呆然としておりましたが不知不識の内に達磨になってしまってと不覚の涙がポロポロと頬に伝り落ちました。それと察してベッタリ力抜けして座っている妻を怒って医師を迎え注射をして貰いましたが、何の手応えもなく三日間涙に暮れました。

伝言を聞いて妻の母が驚いて夕刻とんで参り光明如来様の浄霊をと言ってくれましたが、自由の利かない身でありながらなおその気持を無視してただそんな迷信めいた事でと腹立たしさで一杯でしたが強引に母は一時間位手を振ってくれました。その結果不思議に指先に感覚を得て少しだが動く様になりました。それでも翌日医師を断る気にもなれず続けて注射を受けておりました。母は大丈夫だから薬を止めよと言うのですが素直に聞けませんでした。それでも我儘な私をいとわず根気よく翌日から朝夕浄霊を続けてくれました。身体も少しずつ軽くなっていたが六日目医師のすすめで病状が判明しないため大学病院で血液検査をして来い、その結果が何よりの頼りと言われトラックに乗せられて名古屋に出向き検査を受け病状を尋ねましたら博士は頭をひねって小児麻痺と同様で手当はしっかりしなさい気長く土地の医者にみてもらいなさいとの言葉で帰って来ました。

その時に至って初めて母の真心の観音行を身にしみ判って来て自ずと頭を下げ、これ以外に救われる道はない、誠に申訳なかったとしっかりと光明如来様にお縋りする気持になり心から母を頼りました。その夜から身体はグングン力がついて来て翌日からは部屋を這えるし、その翌日からは杖に縋って部屋を歩け、その翌朝からは手ばなしで歩け、午後からは何の故障もなく歩ける様になり、その翌日の発病一〇日目から車に乗れる様になりました。母はその快癒の早いのに益々熱心に善言讃詞を奏げると共に一回一回楽しみに顔を綻ばして笑みつつ浄霊を続け、妻は喜びと尊い母の精進に両手を合せて伏し拝む程でした。ああ偉なる哉妙智力、唯々ああ有難しの一語につきます。

右の批判

右の実例は、現代医学の無効果を暴露しているというより外に言いようはない。この患者は最初腰から足へかけて軽い浄化が発ったので、そのままにしておけば数日で治るべき処を注射を受けたので、注射の中毒で麻痺を起したのである。それを母親が浄霊したので効を奏し薬毒が解消し全治したのである。

茲で問題なのは相当浄霊の効果が現われたに拘わらず、信ずる能わず、大病院へ診察に赴いた事である。世人は如何に医学を信頼しているかが判るのである。

(救世六十四号 昭和二十五年五月二十七日)