それで危ふき一命救う
島根県K・K
長年病弱にて苦しんでいた私は弟とともに昨年四月I先生より教修をお受けしましてより家族揃ってお恵みを頂き健康体になりました。弟は次々と病患に悩む人々を治させて頂いていますのに、私は家事に追われて遂にお道の御手伝を怠っておりましたが、此未熟の私は今日初めて他人様を御浄霊致し、自分のような罪汚れ多き者でもお救いの力が頂けている事をしみじみ体験させて頂き明主様のお守の御力の絶対なるに拝跪合掌したのでございました。私のすぐ近所の御家は一家揃って生長の家の熱心な信者にて裕福な御家庭で御座いますが、其家の小学校五年生になられるお嬢さんが私の家に駆け込んで来られ泣声で「お母さんが急に具合が悪くなって今にも息が絶えそうだから早く早く」とワアーッと泣き伏してしまいました。私は此言葉に茫然としました。
容体が容体なので初めての私には自信なく生憎弟は遠方に出合わしたものだとつい愚痴めいた感情の起きた事を私はここに告白致します。
しかしもう絶体絶命です。心の中で必死に念じました、明主様大光明如来様と。そして常に教修頂いているI先生やS先生のお教え通り頭部を御浄霊致しました。一〇分余り致しますと戦慄は止りスヤスヤと眠り出し、三〇分程も致しますと眼をパッと開き周囲を見廻すや嘔吐二回あり五〇分後には顔面血色を増し正気づき、患者は「アアさっぱりしました、私は助かったのですね」と感涙に咽んでお礼を申されますので「之は私の力ではありません、光明如来様の
〔原本はここで本文が途切れている〕
右の批判
此実例に就ては二つの重大な意味がある。一は突発的危険状態の患者を浄霊の経験もなく自信さえない信者が恐るおそる浄霊するや忽ち快癒したという事と、今一つは注射というものの逆効果である。此事実だけみても現代医学と本教浄霊の違いさの如何に著しいかが余りにはっきりしている。此様な実例を見る毎に、吾等の心境に名状し難いものが湧くのである。
(救世六十四号 昭和二十五年五月二十七日)