おかげばなし批判 尊い生命を委すもの

本教信仰療法の素晴しさ

兵庫県N・T

入信日浅くして頂きました数々の御神徳の中から、その一つを謹しみて御報告申上げます。本年に入りましてより長男(四歳)が悪質のぜん息にとりつかれ時には今にも呼吸が止まるのではないかと思わせられる程の激しさで御座いました。その度毎に近所の医者に注射や薬を頂き、 又母や私は湿布に夜も碌々寝もせず看病に子の親として苦しんでおりました。ところが八月に入りましてより益々ぜん息の発作が激しくなりますので別の医者に診せました処蛔虫だと言われ強烈な虫下しを頂き、三回も飲ませましたが一匹も出ませんでした。又別の医者に診せました処胸が悪いと言われ、ストレプトマイシンを注射しなければ治らぬとの言葉にて、如何致したものかと心配の余り子供を背負い大阪の大学病院で診察を受けましたところ今度は「胸の心配はありません、小児ぜん息です。ぜん息を治す薬はありませんから」と咳止の薬を頂きました。

その頃の子供は立つ事も出来ず言葉もはっきり言わなくなり目には力なくただ小さき胸を激しく波打たしており、何だか育たないのではなかろうかという予感がして何とも言われぬ暗い気持になってしまいました。私は何んと不幸者に生れたのでしょう。二年前夫に死別し今又ただ一つの頼りにしている此子迄も殺してしまうのかとの思いで、これから先き生きて行く望みすらなくし子供の弱りゆく姿を茫然と眺めておりました。処が計り知れない御慈悲の御救いの御手はさしのべられたのでしょう。丁度九月の末頃近所のK様が来られまして有難い光明如来様におすがり申してはと勧められ、藁をも掴む思いにて一緒にT様のお宅に参りました。そして早速御浄霊をして頂き、合間合間に有難い光明如来様のお話を伺い何ものか胸をつくものが御座いました。

三日目頃より日が暮れますと子供は自分から「母ちゃんお参りしよう」と私の手を引張ります。「まあ此子が」と只々光明如来様の御慈悲に合掌しながら雨の日も風の日も通い続けました。日に日に目に見えて達者になって行きます我子の姿、顔は紅潮し食欲は大人以上嬉々として近所の子供と遊び戯れる、これが最初御浄霊して頂きましてから僅か二週間の姿でしょうか。医者よ薬よと走り廻っておった時の事を思いますとこれこそ神様の真の力でなくして出来るものでしょうか。此感激此喜びを私如き者にも垂れさせ給う有難さ、世の子持つ母達に此喜びをお分ち申し上げ又御救い出来ましたらとおすがり申し上げました処、お許しを頂き、一一月七日J教会にて此世に比類なき有難きお守をお受けさせて頂きました。

入信前に比べ現在の家庭内の明るさ一日一日を光明如来様への感謝の二字で暮らさせて頂いております。拙い文ではございますが此筆舌では尽されませぬ喜びを一人でも多くの人にお伝え申し上げます。

右の批判

右の報告によって考えるまでもなく、現代医学の診断といい治療法といい甚だ申し難いがあまりの頼りなさに黙っては居れないのである。これで医学が進歩したと思い万人が尊い生命を委し切って安心しているのであるから吾等から見れば何と評していいか言葉はないのである。

右に引換え本教信仰療法の如何に素晴しい効果を表はしているかである。これによれば絶対信頼されている医学の効果と、迷信邪教と目されている本教との効果の違いさである。

石が流れて木の葉が沈むという言葉はよくこれに当てはまるであろう。

(救世六十一号 昭和二十五年五月六日)