岡田道一先生に物申す そこひと神霊療法に就て

本紙六十号「そこひと神霊療法」の題下にかかれた先生の論文中、一つ非常な誤解をしている点があるので、実に先生の為に惜しむのである。という事は先生のお説は信仰で病気が治るのは、徹頭徹尾患者の信念に基くとされている。これは先生に限らず大多数の専門家又はインテリ階級等もそうであって、術者の暗示による為、又は本人の信仰の為と解しているが、斯ういう事も事実あるにはある。昔から大抵の信仰療法はそういう解釈であるが、ひとり本教に限っては絶対にそのような事はない。これが本教の偉大なる点で、救世教というような大きな名前が掲げられた所以でもある。

先ず本教浄霊を乞うものの十人が十人、百人が百人、一人の例外なく最初は躊躇逡巡疑いに疑い、恐る恐る受けるのである。それも無理はない、本教へ対し新聞雑誌はインチキや迷信邪教の名を冠しこれでもかこれでもかと非難攻撃を浴せると共に第三者はそれ等を盲目的に信用し尻馬に乗って、極力触れさせないようにする。しかも親戚知人も家族の者までも同様であるから、偶々本教を薦めるものがあっても全然信じないのは当りまえである。ただ医療を初め凡ゆる療法や信仰をやっても、悪化の極、死の一歩手前にまで追詰められ進退谷まった揚句、すがるのであるが一度浄霊を受けるや意外にも起死回生の奇蹟を現わし全快するもの続出するその結果益々発展しつつあるのが本教の現在である。

処が、世間何人と雖も罹病するや、直に医療を求めるのは常識となっている。病気は医師と薬で治るという事は、何世紀も前から徹底的に教育されてをり、国家でさえ医師を保護してゐる位だから一般の信頼は絶対であるといってもいい。故に今日吾々が医療を兎や角いふが如きは、馬鹿か気狂としか思えないであらう事程、それほど人類は医学を信用してゐる。従而、医療を受ける限りのものは例外なく、最初から信頼し、一点の疑など挿むもののない事は言う迄もない。それ程信頼してかかるのであるから、精神的からいっても申分ない条件を具へてをり、物質的にすばらしく進歩した医学である以上理屈からいっても効果百パーセントでなければならないに拘はらず、事実は容易に治らない結果、迷信邪教の御厄介にならざるを得ないという事になるのである。

以上は、ありのままのスケッチである。としたら、先生の説は寧ろ反対というべきである。よって吾等は先生にお奨めしたいのは本紙毎号に満載されてゐるおかげばなしを充分読まれん事で、それによって先生の心の岩戸は開けるであらう。

(救世六十一号 昭和二十五年五月六日)