おかげばなし批判 カリエスから救はる

病気を救ひ得るは本教のみ

岡山県K・M

私は昭和九年痔疾肋膜炎を患って以来現在に至るまで腹膜、肝臓、腎臓、膀胱と次々に全身を巡り最後にカリエスとなり幾度か死線を彷徨し絶えず死の恐怖とたたかいながら遂に光明如来様にお救い戴くまで十余年の間、医薬は勿論全期間を通じレントゲン治療も相当長期にわたって行いましたが、更に効なく、太陽灯、紫外線、手術、灸、漢方薬と懸命のあがきを続けましたが病気は次第に悪化し、物質にては決して解決せぬと現代医学の無力に絶望を感じ、生長の家の奇蹟に望みをかけて熱心にすがりましたがこれ又失望し、南無妙法蓮華経にて助かろうと一心にお題目をとなえましたが、これも何等のお蔭なく、吾が身の不運に天を呪い親をうらみつつもなんとか生きんと必死にもがいているとき有難くも縁あって大神のお恵みに浴する事が出来たのであります。

一時は腰部股関節に激しい痛みを感じ身動きも出来ぬ苦しみが続きましたが、幸運にも天国大教会信者の方々の御浄霊が戴けるようになり、日に日に軽快して松葉杖にて歩けるようになり、やがて再教修のお許しの戴けたときのうれしさは表現の言葉もございません。

御教修の日にはD先生宅迄、十余丁の道を何の苦もなく易々と参らせて頂き御神前にある事二時間にして腰も脚も曲らぬ身がすっと何の苦もなく立つことが出来て御参拝の方々もその御神徳の偉大さにただ驚嘆致されたのであります。

明主様におすがりして居れば今度こそ死なぬぞ、自分には最早死の影に恐れる必要のない、大きなお力を戴いたのだ、との強い信念を持たせていただいたのであります。

それ以来すべての眼に入るもの接する万象が大変化をきたし、今まで暗く呪わしく腹のたつ事ばかりであったのが今度は見るものきくもの全部が明るくうれしく、道ばたの石ころにでも話しかけたい様な親しみを感ずる程の晴れやかさでみたされて居ります。

私如き曇り多き身がかかる勿体ない大神様にすがらせていただく事が出来たのもみな今迄の苦しみがあったお蔭と今では病気にまでも限りない感謝を捧げながらやがて杖を捨てる日も近いであろうと一人前の体となって御神業に参加させて戴ける日を楽しみにお参りを続けさせていただいて居ります。

右の批判

此患者は誤れる医療による犠牲者の見本ともいふべきものである。最初から放任しておけば或は全治したかも知れないからである。全く多量の薬害誤れる物理療法等によって次々病気を作ったともいへる。又種々の信仰療法もやったが、無効果であった事実を考える時、甚だ自画自讃ではあるが、現在真に病気を治し得るものは、広い世の中に本教以外にはない事を如実に語っている。少し言ひ過ぎるとは思ふが事実は事実で、どうしようもないのである。

(救五十五号 昭和二十五年三月二十五日)