膿汁の患部滲出に注意を
鳥取県I・S
野良仕事を終えて疲れた体を一風呂流し、夕餉の食卓につこうとした時、長女(当時四歳)が台所の上の間に登ろうとして障子に触れ倒れた。丁度その所に火から下したばかりのお汁の鍋が置いてあったのに左手を突込みお汁は溢れて左腕(肩から手首まで)と左眼下から右眼下に至る腰部一面の大火傷を負うたのです。 子供は痛みに火の付くように泣きます。居合せた家内とともに素早く着物を脱がせ両脇下へ手を入れて上の間に抱き上げました。手を離したら脇下の皮が「くりッ」と脱げて手についたのです。「ハッ」と想う無意識のうちに手は動いていました。痛みに堪え兼ね泣き狂っていたが五分余りの浄霊に痛みも止まったらしく痛いか、と問えば涙顔を上げて頭を横に振っている。その時始めて私も我に返り、ああ偉大なるかな、これぞ光明如来様の御力によるものぞと感激は身にしみて瞼は熱くなりました。並いる家内一同も曇った顔を一時に晴らしたのであります。なおも約一時間に渉り浄霊を続けました。暫くするうちにポツポツ水泡も出て来ました。教導所に、N先生を尋ねて直ちに来て頂きました。余りに大火傷に驚かれながらも心配ないからと力を付けて頂き浄霊も頂きました。
翌日からは朝昼晩と浄霊を続けました。N先生にも多忙な体を都合付けて、浄霊して頂きました。翌朝は潰れた水泡が包帯を通して水を掛けた如く濡れていました。それが日を追うに随って膿と化し臭気を催して来ました、実に目も当てられない有様でした。朝に包帯を換え夕に又換える、その苦痛は傍で見る眼も痛ましく、ともに涙の出る思いで種々なだめすかしては日課の如く続けました。親戚や隣家の方からは絶えずあれこれと手当の方法を奨められたがその好意は充分に受けながらも、ひたすら光明如来様の御力にすがり、時には真実にこれがよくなるだろうかと思う不安に一時を過した事もありました。
水泡は膿となり膿は「カサブタ」に張り閉され悪臭は日々高くなり、傍へも寄り付けぬ有様でした。日を重ねるうちに手首の方と腰部の軽い方より皮が脱げ追々と快方に向い約一カ月位経って大部分が全快したのです。
漸く長女の火傷がよくなって皆「ホッ」としているのも束の間、今度は二女(二歳)がまた顔面の大火傷をしたのです。漸く歩けるようになりヨチヨチ立っているうちに囲炉裡に転んで、掛けてあった鍋の湯がかえり焼灰をあぶり顔一面、丁度面をかぶった如く灰まみれになり苦痛に泣き狂って居ました。最初はどの辺か一寸解らなかったけれど、追々と赤く色どり水泡が出来た。近所の人達も見舞に来て頂きいろいろ手当の方法等亦々奨めて頂く厚意を謝しながら一度御守護を頂いた光明如来様の偉大なる御光を信じ浄霊を続けたのです。此の度も亦々N先生の御浄霊を頂きました。
その夜は痛みに泣いたり寝たりして夜を明かしました。翌朝見れば昨日の顔は何処へやら、面を着た如く目は片方塞ぎ唇は動かず熱もあり、唯うとうととして御飯も口へ入らず、牛乳等与えても最初は少し許り飲んだが喜ばず、三日目には両眼共塞ぎ「カサブタ」は顔一杯張り廻し口は動かず「ヨダレ」はあごを伝って膿と一緒に落ちる、四日目には少しよくなり両眼共細目に開いた。少し宛遊ばれるようになる其頃より「ヨダレ」のためあごの方から皮が脱けだした、それから日々によくなり数日を経て「カサブタ」は完全に脱げました。何分顔ではあり両眼共潰れたではないかと心配されたが、以前に増して顔は綺麗になり目も澄んで今は傷跡もなく体も丈夫に育ち遊びおります。一度ならず二度迄も光明如来様の御守護を頂きまして誠に有難く感激に咽んだのでした。茲に感謝の一端を拙なき筆に染めお礼申上げる次第であります。
右の批判
火傷に就て注意すべきことがある。それは火傷の場合必ず膿汁が患部へ集り滲出するものである。これは火傷の刺戟によってそうなるので、恰度灸を据えるとウムようなものである。何よりも汁から悪臭を放つにみても明かである。従而火傷によって浄化が行はれるから健康上プラスである。右にある如く、治癒後顔が綺麗になったというのは血が浄くなったからである。ただ茲で注意すべきは薬を用ひると薬が、滲透するから醜い痕跡を残し、相当長く続くものであるから、絶対薬を用ひない事である。而も薬を用ひないと治りも早いから一挙両得である。
(救五十五号 昭和二十五年三月二十五日)