おかげばなし批判 卓越せる神療法

注射中毒の恐ろしさ 三十年来の喘息の因

福島県U・H

私は一五歳の時より三〇年の長い間喘息の病魔に悩まされ一日も薬を用いぬ日なく参りました。来る日も来る日も病苦の二字を外に日を送る事の出来なかったのが過去三〇年の私の生活のすべてでした。発作のため夜もろくろく寝れず朝夕のお勝手仕事をするにも注射なくしては出来ず、四、五丁離れた配給所に行くにも往き帰り注射をし、かろうじて我が家にたどりつく始末でした。果ては注射の針を刺す事の出来ぬ程腕は固くなり注射する事すら不可能な有様でした。当時の私はせめて一日だけでも苦痛と薬から離れた日を送りたい切ない思いで一ぱいでした、そのくせ神様を否定しひたすら人間や科学の力のみに救いを求め、ありとあらゆる術をつくし果てはただ死あるのみと悲観のどん底に陥ってしまった矢先、昨年九月お導きにより有難い光明如来様の御浄霊を頂きその上お守まで頂き、三〇年の苦しみは何処へやら御浄霊二日目にて長い間片時も離れた事のなかった薬と全くお別れしてしまい、理屈にてはどうにもならぬ神の偉大なる御恵に唯物主義一点張りの私もただ事実の前に感泣せざるを得なくなりました。

それに重ねて時も五六七大教会のお祝日、一月一一日、時間も丁度一一時頃、近くのF炭鉱に勤務していた愚息M(二四歳)作業中(線路補修)信号の誤りより進行中の石炭を満載したトロの下に腕をはさまれ、着ていた三枚のシャツは見る影もなくバラバラに破けたにみて当然腕は断ち切られるべき運命におかれていながら一滴の出血もなく、ただ車輪の跡と痛みを残すのみに止り、それも一回の浄霊にて苦痛はぬぐい去られ平常通りにたちかえる事が出来ました。

親子揃って重ね重ねの御利益を頂き光明如来様の大慈大悲の御恵に応え奉りたく昨年二月光明如来様をお祭りさせて頂き親子共に御奉仕させて頂いております事を謹んで御報告申上げます、本当に有難うございました。

右の批判

右は驚くべき体験である。恐らく此文をみて信ずる事は如何なるものでも出来まい。全く吾等でさへ驚歎した位である。然し之も事実に間違いないから信ずるより外に仕方がない。

此患者は全く今日の麻薬中毒と同様注射中毒に罹ったものである事は誰が眼にも明かである。之によってみても薬剤療法は一時的であって、根治療法でない事を知るであろう。而も一時的抑えの反動が起りそれを抑え、又反動が起るという結果中毒症状となり、三十年の長い間苦しんだのであるから、薬害の如何に恐るべきを知るのである。

(救五十五号 昭和二十五年三月二十五日)