おかげばなし批判 自然放置で治療

古血の集溜が発病のもと

三重県I・S

二四年という長い年月の間、眼を患い一時は失明して自殺まで決意した私が光明如来様の尊い御利益によって更生、再び明るく楽しい余生を迎えることが出来ました事を御報告させて頂くと共に、明主様始め諸先生方に厚く厚く御礼申上げます。

大正一二年長女S(現在二七歳)を出産後俗に言う血の道でぷらぶらしておりましたが、翌一三年の五月中頃より眼やにと涙が出て仕方がありませんので医者に診せたところ、トラホームとかで毎日洗眼を怠らないようにとのことでございました。素直に毎日通院致しました。然し眼は一向に楽にならず反って充血し疼痛すらも感ずる様になりました。それでも外に良き方法もなかったため、こうしていればいつかはよくなるだろうと淡い望みで半年、一年、三年、五年、こうしていつの間にやら二四年間も辛抱してしまいました。一進一退の病状が私に微かな希望をもたせてここまでひっぱられて来たのでしたが、何れにしても随分気の長い話でございます。一口に二四年と言いますと何でもないようですが、当時の赤ン坊が立派に養子を迎える様になるまでですから自分ながら呆れる位でございます。草芽時や草枯時が特にひどくその頃には注射をかかさずうっていたのでございます。よく眼は心の窓と言いますが実際眼の見えない程悲しい事はございません。何かをみてでしょう、楽しく嬉しそうに話している家族や近所の人達の話声を耳にする時の苦しみとあせりは全く経験した者でなくては判りません。昭和一九年の暮より翌年始めにかけて私もその地獄苦を味いました。自殺を思ったのも此頃でございます。こうしている内に何時しかこれはもう一生治るまい、とうとうこんな諦めを抱く様になっておりました。ちょうど此時分(二一年八月七日)尾張よりはるばるG先生がお出でになり初めて光明如来様の御利益あらたかな事を教えられたのでございます。浄霊(当時は治療)をして頂く様になりましてから涙がとめどなく出て反って悪くなったかに見えましたが、明主様の御霊徳と先生の御教えにより浄化作用の有難さを懇々と訓され自分の過去を振返ってみたのでございます。二四年間という長い年月を今から考えれば夢にも等しい望みをもって医療を続け、その結果が全快とは全くかけ離れた失明一歩手前いや失明をもしたのでございます。其間に溜ったところの毒素は意識するとせないに拘わらず犯せし罪穢、それ等を思う時始めて飜然と悟り得たのでございます。

早速九月に夫に御光をさずけて頂き浄霊を続けて受けていたのでございます。するとどうでしょう、あれ程頑固だった痛みも薄らぎ目やにも少くなってきました。御利益が頂けたその時の私の嬉しさは生涯を通じて忘れる事が出来ません。光明如来様の御利益を文字通り眼の辺りにみせつけられじっとしていることが出来ず、一二月には長女が翌年三月には次女が六月には私がと次々教修を頂いたのでございます。もうその頃では目やにのみほんの僅か出るだけで平生と変りなきまでの眼にして頂きました。実に二十数年間の薄暗い、じめじめした眼も心もからりと晴天にして頂いたのです。僅々一〇カ月で驚異的な御利益御恵の偉大さ、ただ御礼の辞もなき次第でございます。

二三年一月には光明如来様を奉斎させて頂き、同じ苦しみに喘ぐ人々病苦に悩む方々へ御恵の万分の一なりともとひたすらに御用の一端を努力させて頂いております。本当に有難うございました。

右の批判

此患者の病歴を説明してみると斯うである。最初眼の発病は産後眼を使った為である。それは産後古血が全部出切れない中に、神経を使うと、其個所へは必ず古血が集溜するものである。此患者もそうで、眼底に集血したのでその浄化発生によって、涙や目脂となって排泄されようとした処其時の医師がトラホームと錯覚して薬毒を注入したのでそれが為、漸次悪化したのである。忌憚なくいえば、自然に放置しておけば治るべきものを、誤れる医学が失明に迄追い込んだ訳である。

(救五十四号 昭和二十五年三月十八日)