天才児童はどうして出来るか

先頃新聞を賑はした、六歳で素晴しい絵を描くという児童があったが斯ういう豆児童はどうして生れるかを書いてみるが、天才児童は昔からも時々現はれるもので、西洋に於ても有名な音楽家等が六七歳頃からピアノやヴァイオリンをよく弾いたり十歳を越してから大作曲を現はすというような話もよく聞くのである。彼のシューベルトなども十何歳から三十一歳の死ぬ迄の間に五百種以上の作曲をしたと言うのであるから、驚くべき天才であったに違いない。斯様な大天才の生れるのは何か特別の原因がなくてはならない筈で、それをかいてみよう。

これは勿論霊的であって、唯物科学では全然見当がつかないから致し方ないとしても、此原因を知る事も必要事であろう。其意味で吾等は霊科学から解説するのである。此原因に就ては、例えば音楽大家の霊の再生と憑依との此二つと思えばいい。

今茲に大音楽家があるとする。死後霊界に行っても好きな音楽は忘れる事が出来ない。その強い執着の為速く再生する。之がその一つで、別な一つとしては再生するまで待ち切れない為、自分の系統の者を探し求めて其児童に憑るので、手指の動くのを待って六七歳頃になれば憑るのである。何しろ大音楽家であるから驚くべき技能を発揮する訳である。

処が、此場合縁のない者へは憑る事が出来ないから、自分の霊統の者特に児童に憑る。それは成人者より幼時ほど憑依し易いからで、又思ひ通り自由に駆使されるからでもある。考えてもみるがいい、六つや七つの子供が普通であったら、成人者のような技能は有る筈がないが、以上のような訳を知れば天才児童も神童も出来るのも敢て不思議はないのである。

然し天才児童の悉くが大成するとは限らない。中には或年齢までで其後は普通になる者も往々あるが之等は再生ではなく憑依霊の場合に限るのである。という事は再生の方は、その霊自体が人間であるから変りようがないが、憑依霊の方は神の使命や祖霊の思惑の為、或時期までで許されたものであるからである。

(救世五十三号 昭和二十五年三月十一日)