病気は果して恐ろしいか

凡そ現代社会に於て、何が怖いといって病気程恐ろしいものはないと思はない者は一人もあるまい。という事は勿論一番大事な生命に関するものであるからで、今更斯んな判り切った事を言う必要はないが、然し生命に関しないまでも一度罹病するや、医療費の高い今日長引きでもしたら、その出費と職業放擲による収入減は勿論、中には愈よ事業を創めようとする者、又は成功半ばのもの、重要な責任を果そうとする者等々、一日も休めない境遇に置かれている時病気に罹るとすると、今日の医療は絶対安静という何にも出来ない事になるからその為に煩悶焦慮する精神的苦悩も肉体の病苦と合せて、二重の責苦に遇うのである以上、病気を極端に恐れるのは当然である。

而も病気の原因が悉く黴菌感染の為としているから黴菌を恐れる事甚しく常に戦々兢々としている。これは罹病時ではなく、寧ろ健康時がその恐怖に襲はれるのだから、何と不安の世の中ではないかといいたくなる。成程一方絢爛たる文化の進歩は、昔と違って民主的であり、自由主義的であり、男女同権で、合理主義的であり、交通の発達、生活の至便等々、確かに人間の幸福は増進したには違いないが、前述の如く黴菌恐怖症という新しい一大脅威が生れたのであるから、凡ゆる文化的幸福は、之に抹殺されて了ったといっても誤りではあるまい。

以上の点を深く考える時、人類が文化の恩恵に浴し、幸福を享有し得るとしたら、何よりも病気の不安のない世界たらしめなくてはならない。としたら其根本である黴菌を全滅する事も、人体に感染させない事も、如何に消毒施設が完備しても絶対不可能である以上、どうしても感染しても発病しない人体を造るより外に方法はない訳である。これによってのみ病気不安は解消する訳である。

然らば、右の如き理想的方法がありやといふに、吾等が常に言う如く神示の健康法によれば黴菌に犯されない健康人たり得る事は敢て難事ではないのである。何よりも吾々は黴菌防止手段など全然行はないに拘はらず、何等侵害を蒙る事はないからで、病気不安は吾々には遠い昔の事である。

(救世五十三号 昭和二十五年三月十一日)