目が覚め詫びる紋切型
広島県 S・K
私は一三歳の一〇月頃ふとした事から足を悪くし、医者から医者へ転々と移り、或る病院では二年間も入院して大手術を三回、小手術を三回も受けました。その七年間の私の生活は、病気のためまったく暗黒そのものの世界でありました。最初の骨髄骨膜炎に加えて一五歳の時から関節炎、更に胃病と痔に苦しみ、とうてい筆や言葉では現わせない位の状態でした。
今年の五月、母が工場に働きに行きましたらTさんと言う方から『救世』新聞を五、六枚借りてまいりました。宗教で病気が治るなら、医者や薬もいらないではないかと言って私はまったく相手にしませんでした。それから二、三日後痔の痛みを我慢して布団にもぐって居りますと、Tさんが来られ、御浄霊して下さいました。すると不思議に体が熱くなり痔の痛みが拭う様に取れました。その後再び痛み出した時、又何時もの通り坐薬を挿しますと猛烈に痛み出し七転八倒の苦しみをして居りますと、Tさんが来られ又御浄霊してもらいました。再び痛みは嘘のように取れてしまいました。それからは毎日御浄霊を戴きました。胃の痛みも取れ、関節炎もよくなって今では完全に治して戴きました。それでも私は神様の御力によって救われたのだとは思わなかったのです。何んと言う愚かな私だったでしょう。それでも神様の大いなる御心の御蔭をもって御教修を戴く機会を与えられました。教修二日目眼前で不思議な奇蹟を見せられ、最早疑えと言われても疑えない、信ずるなと言われても信ぜざるを得ない気持になりました。其の外、日々奇蹟の連続で御座居ます。日なお浅い私にこうして偉大なる御力を御示し下さるのも、神様の実在を知らして下さいます大御心とただ有難き極みでございます。
右の批判
右は浄霊で効果があっても信用しないという一つの例で、これでみても如何に唯物医学に心酔していたかが判るのである。そんな不信の想念でも効果があるのだから、観念で治るのではない事を知るであろう。斯ういう例はあまりに多く、眼が醒めてからお詫びするのは紋切型ともいってもいい。
(救世五十二号 昭和二十五年三月四日)