生命を救う現実問題を
岩手県 I・K
戦争もたけなわの、昭和一〇年一二月二六日、妹の結婚式当日、五歳になる私の養女(妹の次女で父親は昭和一五年に死亡)が急に頭が痛いと泣き出し、全く狂人のようになり、わめきさわいで、どうにもなりませんでした。これは急性の脳膜炎ということは、一見して素人にもわかる病状でしたので、式の手伝の人々が大変心配して、医者を迎えに走って行きました。
私は式の方には手伝もせず、ただ一すじに神様におすがりして、絶対大丈夫と思い、浄霊さして頂いて居りましたら医者が見え、矢張り脳膜炎との診断で注射をして帰られました。
間もなく急に静かになったので、頭に手を当ててみましたら、何んだかヒヤリと感じましたので、変だな、と思い脈をみましたら非常に不整です。驚いて主人を呼び、心臓に手を当ててみますと、鼓動は結滞して居ります。暫くたったら、段々冷たくなり、死相を呈して参りました。もう呼吸もせず、脈もすっかり止ってしまいました。手伝の人々も今はただ顔を見合わせて、オロオロするのみです。自分一人では心許なく、約二〇丁はなれたY先生のお宅に電話して御浄霊をお願いしました処早速かけつけられ、どうもあきらめるより外ない容体だが光明如来様におすがりしてやらして頂きましょうとおっしゃいましたので、先生と私と二人で一生懸命に浄霊さして頂き、主人もまたひたすらに光明如来様を念じつづけて居りました。
やがて一時間半程して、やっと泣き出しましたので、居並ぶ人々も「ああ生きかえった、生きかえった」と大喜びで、ホッとして気がつきますと、一二月末の寒夜に先生も主人も私も上衣なしのシャツに、ビッショリと汗がにじんで居りました。
この時の感激は、とても筆舌にはつくし得ません。全く光明如来様の御利益の偉大さにはただただ驚くばかりで、ああ助けて頂いた、御救の御手をさしのべて頂いた!と思うと涙がとめどなく流れ、あたりに大勢の人々の居るのさえ打忘れる程でした。
この約一週間程前主人が、四年前になくなりましたこの子の父が来て、この子を貴殿にお願しておくわけには行かぬから、どうしても一緒に連れて行くと言い、主人は今更やることなどできぬと、はげしい口論をし、はては法にかけてもやらぬと争った夢をみたから、 充分注意して居る様にと申して居りました際に、このようなことが起きまして、やはり光明如来様が、妙智力でお知らせ賜ったのだと思い当り、妙智力の無限のお働きに、ただ驚嘆するばかりでありました。
この子は、生れ落ちた其の日から私達の手で育てましたが、父親は、この御光を仰ぐ私達のことを理解できず、遂にはうらんでさえおりますうち、一年ほどして急死してしまいました。これも矢張り神様の思召しによるものと私は信じております。
このようなわけで、私達に委ねて居ることが苦しくて、一緒につれて行こうとかかったものと思いますが、観音力の偉大な御救の前には流石頑固な死霊も、お浄めを頂いてこの子の傍をはなれ去ったものと存じます。それを思うにつけて、まだ、この有難い御光に浴さぬ人に一日も早くわからせたいものと念願致しまして精進さして頂き度く存じ居ります。
批判のお言葉
此の実例に就て注目すべきは、医療である。勿論、脳膜炎には違いないが、注射をするや間もなく全身冷くなり死の状態を呈したというのは不可解である。吾等の経験上脳膜炎の初期としてはそういう事はあり得ないにみて、どうしても注射の為としか考えようがない。又他の病気に対しても注射後間もなく死んだという例はよく聞く所で尊い人命に関する以上、此の点最も慎重に診療すべき事を臨床家に希望したいのである。成程医学の新発見も肝腎であるが、現実問題の方は一そう重大事であるからである。
(救世五十号 昭和二十五年二月十八日)