分っていて分らない

これは洵に変な題だが、こうかかざるを得ないからかいたのである。これは信者はよく知っている事だが、本教浄霊によって医者から見放された重難症患者が奇蹟的に治った場合、医師も無神論者も大いに驚愕すると共に、この世の中に斯んな不思議な事があるだろうかと思い、いくら考えても分らない。そこでそれを治した先生に訊き、数多くの実例を話されるので成程と分り、では自分も信者になろうと決心をしても、種々の事情の為直ぐには入信出来ないとし、愚図々々していると、必ず親切な悪魔が口を極めて邪魔をする。曰くこれ程科学が進歩した今日そんな事で治るのは時節が来たからだとか、今まで入れた薬が効きはじめた為などと、言葉巧みに勧告されるので、ついその気になり、御話の如く医学が進歩し、日本は疎か先進文明国でさえ現代医学を採り入れ、保険制度を立てているし、世界中の学者は力かぎり研究に没頭し、立派な病院は至る所に建てられ、完璧な施設、顕微鏡、解剖、分析、新薬の続出等々治病手段は驚異的発達を遂げた今日、医学のイの字も知らない普通の人間が、三日や五日の修業で只手を翳しただけで、医学以上の治病力を発揮するなどとは、奇想天外で、あり得べからざる話である。従ってウッカリこの非科学的迷信の虜となっては大変だ、と言われるので成程と思い、桑原桑原、アア危なかったわいといって済ましてしまう。

処がこれで無事に済んだ人は今までに一人もないので、殆んどの人は暫く経つと再び最初の通りか、輪をかけた位に再発悪化するので後悔し考え直す。ヤッパリ医学は駄目だ、アノ時先生の言われた通りにすれば、神様の力で治ったに違いない。アア俺は飛んでもない間違いをしたと思い、極り悪気に再び浄霊に来る人が御蔭話中にもよく出ているが、全く現代人が如何に医学迷信に嵌り込んでいるかが分ると共に、その為苦しんで命までワヤにする人も少くない。

しかし遅くとも気の附いた人は、先ず命は取り止めるが、中には飽迄医療に噛りつきつつ苦しみ抜いた揚句、死の直前になってやっと気の附く人も多くあるが、もう斯うなっては後の祭りで、いくら地団駄踏んでも最早地獄行より仕方がない。以上の如き経路をみると、最初治ったらその事実をそのまま信ずれば何でもないが、親切な迷信の亡者に唆(ソソ)のかされるのだから、現代人の頭脳は事実よりも理屈の方を重く見る事で、全く変になってしまったのである。早くいえば標題の如く、分っても分らないというより外はないのである。

(栄光二百二十八号 昭和二十八年九月三十日)