借金二十年

私は大正八年から昭和十六年に到る二十余年間借金で苦しんだ。否苦しめられたのである。忘れもしない大正八年三十八歳の時、今の妻と結婚の話が纒り、黄道吉日(コウドウキチニチ)を選ぶや間もなく、出し抜けに生まれて初めての執達吏という、いとも気持の悪い種族三人が飛込んで来た。何か変な紙片を差出し読ませられたが、何しろ今迄そんな経験のない私とて、只目をキョロつかせる許りだった。そうこうする間も彼等は部屋々々を見廻し乍ら、目ぼしい家財道具に小さな紙片をペタペタ貼ってしまった。又差押え理由を細々(コマゴマ)とかいてある半紙半分程の紙を読んで呉れろといい、箪笥の横ッ腹へ貼って帰って行った。よく見ると色々な法律的箇条書があったが、その中でギョッとしたのは、差押物件は自由にすべからず、貼った紙片を破棄すると、刑法第何十何条に処すという事がかいてあった。

処が弱った事には、右の小紙片は箪笥の抽斗(ヒキダシ)とその仕切りにかけて貼ってある。勿論開けさせない為だが、しかし開けなければ着物が出せないので困った。そこで色々工夫の末、仕切りの方だけは巧く剥れたが、抽斗の方は貼った儘でどうよや開ける事が出来たので、ホッと安心したという訳だ。では何故こんな目に遭ったかというとそれは斯うだ。私は以前もかいた事があるが小間物屋で成功し、無一物同様から十数万の資産を贏ち得たので、大いに自惚れてしまい、予ての念願である新聞事業を一つやってみたいと思いよく調べてみた処、当時百万円の金を持たなくては難しいとの事なので、何とかしてその百万円を作りたいと思い、種々な金儲けに手を出した。処が偶々吉川某なる海千山千のしたたか者と懇意になり、その頃の私は同業者から羨望の的とされていた位なので、世の中を甘く見すぎ、右の吉川の言うがままに第一次欧洲戦争後の株熱の旺んな時とて、株屋相手の金融業を始めた。何しろ私の信用で先附小切手で銀行が貸してくれるので、借主からは日歩五銭の利子が取れるのだから堪らない。一文要らずの只儲けという訳で、到頭現金と小切手で十数万円に及んだのである。処がそれを扱った銀行で倉庫銀行というのが突如破産したのである。彼はそれをヒタ秘(カク)しに隠し、小切手を高利貸方面で割引いたから大変だ。それが為高利が嵩んで進退谷まり、到頭彼は私の前に叩頭(オジギ)してしまった。全く私にとっては青天の霹靂であったので、止むなく一時逃れとして銀行に頼んで小切手の支払全部を拒絶したから、怒ったのはアイス連中だ。忽ち前記の如く差押え手段をとると共に、私に対して詐欺の告訴を提起したので、私は検事局へ喚び出されて散々油を絞られたのである。そこで数人の高利貸に泣きついて、漸く約三分の二の八万円でケリが附き、半額現金、半額月賦という事になったが、これからがそれを払う苦しみが始ったのである。

その事件の為約束の結婚も不可能なので、ありのまま打(ブ)ちまけた処、先方は普通なら秘密にすべき事柄を、正直に言うとはめずらしい立派な人だと反って賞められ、反対に是非実行してくれと言われたので、私も世の中というものは妙なものだと思ったことで、今でも覚えている。この痛手の為営業も窮屈となり、店を株式会社に改め、一時は小康を得たが、忘れもしないアノ翌九年三月の経済界のパニックである。商品下落、貸倒れ等これが第二の打撃となったが、それにも増して今度は彼の大正十二年九月一日の関東大震災である。当時京橋にあった店も商品も丸焼、貸金全部貸倒れと来たので、一時は駄目かと思ったが、どうやら営業だけは続ける事が出来たには出来たが、そんなこんなで私は金儲けが熟々嫌になり、活きる路を宗教に求めたのである。そこで色々の宗教を漁ってみたがこれはと思うようなものはない、その中で一番心を惹かれたのが彼の大本教で早速入信した。これからの事は以前かいたから省いて、借金の方だけかいてみるが、何しろ以上のような訳で、金儲けを止めた以上借金返済は不可能となったので、アイス族共代る代る差押えに来た。何しろ信仰的病気治しの御礼位では知れたものだから、そこで生活費を極度に切り詰め、最低生活で辛抱し、少しずつ返したが、中々思う様にはゆかなかった。そうこうする内幸いにも段々発展し収入も大分増えたので、漸く借金残らず返し切ったのが昭和十六年であった。数えてみると丁度二十二年間借金で苦しんだ訳だから、それ迄は思い荷物を背負わされていたのが急に軽くなり、せいせいした訳である。

茲で特に言いたい事は、借金の抜けない内こそ、寝ても覚めても金が欲しい欲しいので心は一杯だったが、信仰が深くなるにつれて金は神様が下さるものとの訳も分り、しかも全部返済ずみになったので気持も悠々となった。処が皮肉にもそれから思いもつかない程金が入る様になり、年々増える一方なので、熟々思われた事は、金という奴欲しい欲しいと思う間は来ないもので、忘れてしまった頃入るのである。つまり私の二十数年間の経験によって得たのがこの借金哲学である。宗教家の私が斯んな事をかくのも変だと思うかも知れないが、これも何かの参考になると思うからかいた次第である。

(栄光二百十七号 昭和二十八年七月十五日)