医療とは

之に就いて私は、筆に口に常に知らしているので、一応は言い尽したように思われるが、実はまだまだ足りない気もするので茲にかくのである。何しろ一般の人は医学迷信に陥っている結果、病に苦しんでいる人が余りに多く、到底見ておれないからである。といっても長い年月のコチコチに固まった迷信であるから、之を溶かすとしても容易ではない。そこで私は之でもか之でもかという様に、凡ゆる面から説いて来たが之なら分らない訳はないと思う程に、本文は徹底したつもりであるから、其の気持で読んで貰いたいのである。信者の中には標題だけでも直ぐ判る人もあろうが、併し一般の人に分らせようとする場合、説き方の参考ともなるから、充分玩味されたいのである。

先ず人間何かの病気に罹るや、早速御医者さんに診て貰う。すると御医者さんは二三の服み薬を呉れると共に、近頃は大抵注射をするからそれで一寸よくなるので、之で治るものと思って毎日通うか、御医者さんの方から来て貰うかするが、実際は十人中八、九人は思うように治らないもので運よく一時治っても暫くすると必ず再発するのは誰も知る通りである。勿論薬という毒で一時抑えをするだけで、本当に治ったのではない事はいつもいう通りである。

右のように一時的で完全に治らないのは、御医者さんも充分知り抜いている筈であるが、併し分っても現代医学ではどうにもならないから、斯ういうものだと諦めているだけであろう。そこで先ずお医者さんの肚の中を想像してみると斯んな処であろう。病気というものは実に分らないものだ。だが今日迄の学者、先輩が解剖や分析、機械などで、研究に研究を尽して作り上げた医学であるから、之を信ずるより外は勿論ない。之程進歩した医学でも治らないのだから、先ず気長に世界の学者達が協力して、仮え僅かずつでも進歩するとすれば、いつかは完璧な医学が出来るに違いあるまいと、只漫然と時を待っているにすぎないのが実状であろうから、洵に心細い話である。だがそれだけなら我慢出来るとしても、それ迄の間如何に多くの病人が出来、其の苦しみは固より、生命の犠牲までを考えれば考える程恐ろしい気がするのである。

処で現在の病理であるが、病原は最初黴菌が口からか、鼻からか、皮膚等から侵入し、繁殖する為とされているが、之は洵に単純な考え方である。では御質ねしたいが黴菌が侵入しても病が発生する人と、しない人とが出来るのはどういう訳であろうかである。するとお医者さんは言うであろう。黴菌に負ける弱い身体だから発病するのだとの定り文句であろうが、事実は其の反対である事が近来分って来た。それは結核は腺病質の子供は余り罹らないで、健康な子供の方が罹るという事実である。之だけでも医学は丸っきり判っていないのである。右は小さい例だが、大きい例といえば医学が益々進歩する程、病気の種類も増え何処も彼処も病人だらけである。何よりも薬の新聞広告をみても分る通り、デカデカな広告を出しても、割に合う程病人が多い訳である。従って真に薬が効くものなら段段病人が減ってゆき、遂には薬の広告主もなくなり、お医者さんは飯が食えず、病院は閉鎖する事にならなければならない。

処が事実は其の反対ではないか、としたら大いに考えざるを得ないであろう。それに就いて私は長い間随分医学の盲点や、薬害の恐ろしさをかいて来たが、若し之が間違っているとしたら、其の道の人は大いに憤慨し凹ませに来なければならない筈だが、今日迄一向そんな人はないのをみると、御説御尤もとしているのであろう。私と雖も宗教家であり、人類愛をモットーとしている以上、悪口や失業者を作るような説は言いたくないが、何としても記かざるを得ない程悲惨な現状と、神から命ぜられた私の役目を思うからである。

(栄光百八十五号 昭和二十七年十二月三日)