菜食のよき例

此間奈良薬師寺の管主であり、法相宗(ホッソウシュウ)の管長である橋本凝胤(ギョウイン)師が、武者小路流の茶道の宗家官休庵師匠の案内で来られ、数時間談話を交したが、殆んど十年の知己の如く話がはずんだ末夕飯となり、共に食事をしたが、驚いた事には絶対菜食なので、鰹節も入れずに一人前だけ料理を別に作らした程であったから、如何に徹底した菜食家だという事が分るであろう。先づ栄養学者からいったら、無論素晴しい栄養不足食というだろう。

処が事実は反対も反対で、師の面貌を見ると六十歳以上であり乍ら、其艶々とした顔色の好さ、肉附も申分なく、素晴しい健康色で、受ける感じの快さは今迄に見た事のない人柄である。而も其頭脳の明敏、記憶のよさ、私が仏教美術に就て色々質問したが、其名答振りも亦驚く程で、私は全く心を打たれたのである。之でみても如何に菜食が健康にいゝかという事が熟々思われた。勿論生れてから病気した事もなく、薬の味も知らないというのであるから、私の説を裏書して余りあるのである。それに引換え現代人と来ては、栄養を大いに食い乍ら、顔色の悪さは固より、頭脳の鈍さと来てはお話にならない程であるから、其無智なる何といっていゝか言葉はないのである。

(栄光百七十四号 昭和二十七年九月十七日)