神霊の力と科学の力とは、どの位の異いがあるかという事の立証は、左の御蔭話を読めば何人にも分るであろう。何しろ本教は現在の如き地獄世界を、天国世界に転換させるという大目的であるから、如何に素晴しい力を有っているかは、左の一小事だけでも想像がつくであろう。
見よ!此の奇蹟
瀕死の直腸癌癒ゆ
山口県 K・T
本教に入信致しまして未だ日浅き私が、不肖の身も省みず敢えて拙筆を執らせて戴きましたのは、余りにも有難く尊い奇蹟の数々を戴き、自分一人の胸に秘めて置きます事は勿体なく、拙き筆ながら奇蹟の続出ともいうべき私の体験を記述する事に依りまして、皆様の御信仰御奉仕の一助ともなりますれば幸と存じました故と、今一つはジャーナリストの科学万能主義と唯物論者の無神論に対して、信仰の醍醐味と、本教の御浄霊が科学に優越せる実態を示し、真の宗教の在り方と存在の一端でも認識して戴きたい一念からでございます。私が本教の存在を知りましたのは、肋間並びに坐骨神経痛、関節リウマチにて就床一年余、医者よ、電気よ、鍼よ、灸よ、指圧よとありとあらゆる治療を尽くしましたが経過ははかばかしくなく、手足は麻痺し紫色に変色致し、記憶力は衰え眼は翳み、朝に夕べに激痛高熱の苦しみは青春の夢も希望も奪い去り、生への意欲すら起らない暗黒の世界に投出され、放心状態に陥りました。唯、苦痛と高熱に耐えかね、注射指圧電気治療を日課として繰返していたに過ぎませんでした。それは客年二月中旬の事でございました。兄嫁の里の母から聞いて参りました、とT先生がお見えになり、御浄霊の有難いことについてお話し下され「とに角一週間程すべての治療を一時中止して御浄霊を受けて御覧なさい。きっと治りますよ」とおっしゃって下さいました。元来私はマルクスの共鳴者にて、信仰のシの字も嫌いな無神論者で今から考えますと実に恐れ多い事ながら現代医学の最高医術に依りて尚根治不能とされている此病気が、如何程有難いか知らないが、唯手を翳すだけで治ってたまるものか、これこそ迷信邪教だと、到底信ずる事は出来ず、唯試してみるのも一利だとばかり御浄霊を受けました。やがて三日目の事でございます。無神論者の私にも遂に神の実在奇蹟の実態をまざまざと見せられる時がやって参りました。今日迄一年有余、風雨もいとわず毎日往診して下さった医者を無下にことわる事も出来ず、「昨今は苦痛も少く大分いい様でございますから暫く注射も薬も止めてみようと存じますが如何なものでございましょうか?薬注射も量や度が過ぎると反って反応が現われ、手足の麻痺凝結を招くのではありませんでしょうか」と婉曲に往診を辞退すれば「それは素人の浅慮というもの、医者のする事に問違いはない。悪い様にはせぬから病気は医者に任せなさい」とばかり相変らず往診に見え注射をして居りましたが、T先生の一念が神に通じましたのか、御光の入りました体内には、科学者たる医者にもおかすべからざるものがありますのか、注射針を差し込めば曲るか折れるかして容易に針が差し込めず、六、七回目にやっと針を差し込んだかと思えば、今度は注射液が流出して効果なく、医者も看護婦も当惑顔、そしてさも不思議そうにある一点を凝視して居ります。
そこにはT先生が御浄霊の時観音様の御軸を掲げるために打たれた釘があるのです。その日はそれでお帰りになりましたが、その翌日のこと、雨の中を往診に来て看護婦に注射の用意をさせ、注射液の入った注射器を手に取りじーっと考えていましたが、突然「経過良好の由だったね。ウーン、今日は注射を打つのは止めた」と言って早急に帰り仕度を始めました。又帰られる時の挨拶が、「御大事に、悪くなりましたらすぐお知らせ下さい。早速御伺い致しますからね」と形式的に、そして観音様の柱釘が目にとまった途端「いやいや私を招く程の事はなく元気になられ、歩いて病院まで来られる様になるでしょう。いやいやもう二度と医者の御世話になる事はありませんから、御安心」とばかりほうほうの体で帰られました。
噫!これが奇蹟でなくて何でありましょう。御神業の偉大なるかな、今こそ神の存在と奇蹟の実体をまざまざと見せつけられ、大いなる神の御慈みに家族一同感謝感泣致しました。
その日、その時より私の頑な心も一変致し、今迄は馬耳東風と聞き流していました善言讃詞を唱え、御神書を熟読致す事によりまして、未だかつて持つ能わざりし安心感と、信仰の醍醐味を玩味させて戴き、青春の夢と希望をとり戻し、幸福な楽しい日々の訪れとなりました。御浄霊に依り紫色に変色していた手足、翳んでいた眼、記憶の喪失も日々快復致し、一週間目にはこれが一年有余も就床していた体かと思われる程健康体に返り、 坐る事も出来なかった関節の屈折も自由となり、一時間の静坐にも、一里の道程も、さしたる苦痛を感ぜず、耐え得る程となりました。手足の麻痺及び変色、眼の翳、記憶力の喪失等はすべて薬毒の為であった事が理解出来ますと共に、 薬毒が如何に恐しいものであるかを覚り、今迄はそれを有難く頂戴していたのかと思うと身震いがでました。
当月二〇日の御例祭には、母と二人で参拝致し、早速入信させて戴き、地上天国建設の為人類救済の御神業に微力ながら日々御協力させて戴いて居ります。 御浄霊をさせて戴きますと次々に奇蹟が現われ、奇蹟は奇蹟を産み、愈々神業の尊大さを知らされ、益々一層の御報恩の念を厚くさせられます。左にその例を挙げまして私の体験記の拙筆をとめさせて戴きます。
或る老婦人は直腸癌にて就床一年有半、食欲もなく青白き顔面には生色なく、名医が高貴薬珍薬をとあらゆる治療を施せど悪化の一途をたどるのみにて、死を待つのも時間の問題という哀れな状態でありましたが、T先生が行かれまして御浄霊二日目には食事も戴け便所にも歩いて行かれる程になりました。一週間目には床上げし炊事もして居ります。私が一週間後に参りました時には医者が、「これは不思議、お腹のかたまりが無くなっている。これは癌ではありません。不思議な事もあればあるもの、私が医者として癌患者を扱ったことも多いがこんな状態、こんな変化をきたした患者は一人もありません。一つ研究の為診察だけでもさせて下さい」と手を合せ、医者が患者に頼み込んでいる珍風景。私は心から「明主様有難うございました」とお礼を述べさせて戴きました。「真の医学は神の医学なり」と。
明主様、どうも有難うございました。
(栄光百五十三号 昭和二十七年四月二十三日)