力に就て世の中の人は深い事を知らないから茲にかいてみるが、之を科学的定義でいうならば、目に見える形ある力程弱く、見えない力程強いという原理である。即ち前者は何馬力とか、何瓩とかいうように限度があるが、後者に至っては無限である。つまり人間の想念と同じで、目には見えないが恐るべき力がある。偉い人の力は一人で世界を動かす事さえ出来るのは人の知る通りである。

右は人間だけに就ての説明であるが、之を押し拡げたのが神様の力である。之を科学的に説く事も出来る。即ち科学で唱える粒子説がそれで、之によると人間の霊は素粒子であって、神様の霊は微粒子である。勿論神様でも神格が高まる程、微粒子の度は益々高くなりそれと共に稀薄にもなるのである。此様に力学的にいっても素粒子程力が弱く、微粒子程力が強い事を知るべきである。

此理によって最高級の神様の事を、神道では幽の幽とか、又は幽幻微妙などとも言われるのは全くそれを表現した言葉である。此理によって私に与えられている神力は、最高級の神霊であるから、絶対力といってもいい位のもので、此力は本当に揮われた者は、昔から一人もなかったのである。彼のキリストにしろ、言い難い話だが割合弱かったのは事実がよく示している。即ちキリストの行った奇蹟といっても御自分だけのもので、弟子達にまで分け与える事は出来なかったのである。其他の聖者にしても、悉く限られた力であった事は其事蹟が示している。

茲に私の事を少しかいてみるが、私の発揮する力の大きさと強さは、無限絶対と言ってもいい位で、現在行使してる力は一部の発揮でしかないがそれでも知り得た人は驚嘆する。信者は勿論だが信者の中でも熱心な人で何分の一位しか分り得ないのである。言う迄もなく何れは本当に発揮する時が来るから、其時は開いた口が塞らないであろう。故に今から腹帯を確(シッ)かり締めておく必要がある。そうして私が現在現わしている力だけでさえ病気を治す人間を作り、農業の増産法を教え、神の実在を分らせる奇蹟を現わしているばかりか、大規模な地上天国や美術館をも造っているのだが之等はホンの小手調べで時と共に段々押し拡がり何れは世界的に天国を造る事になろうから、本当の神力は之からである。

其様な訳でもっと詳しく知らせたいが、今言った処で到底信ずる事は出来ないし、神秘でもあるから、ホンの一部分だけ時に応じ、進むに従い発表するのである。之を要約すれば善言讃詞にある通りの世界を造ってゆくのである。特に一言いってをきたいのは、最大の争いである国と国との戦争であるが、之も私は時が来れば、一挙に無くす事が出来るだけの力も有っているから、安心して貰いたいのである。

(栄光百五十一号 昭和二十七年四月九日)