全村メシヤ教信者

左記お蔭話は全村メシヤ教信者というと、一寸驚くであろうが実は日本一小さい部落で、五戸で三十人の人口というのである。併し、何しろ千五百米も高い山間であるから、病気になっても医師にかかることは大事であった処、全村本教信者となった為、罹病の都度浄霊だけで簡単に治るので、其喜びと安心は一通りなものではない。従而、今後人里遠い山間僻地などこそ、本教が行渡ったとしたら、如何に救はれるかは想像出来るであろう。

扁平足を救われ
御守護の数々

大分県 O・M

医師より足首の手術の診断を受け、悲観のどん底より光明を見いだし、御守護をいただきまして全快致し、毎日感謝の気持ちで日々を過さしていただいております。拙文ではありますが御礼をかねて御報告をさせていただきます。

昭和二二年八月頃より歩行すると右足の踵が少しずつ痛みを感ずる様になりました。早速有難や(祈祷師)にお詣り致しました処「水神様の方がある」と言われ、その方を祈祷してくれましたが次第に歩行困難になり、三日間通いましたが歩行出来ず、毎日家庭に於て息んで居りましたが、日がたつにつれて病状は悪化し、遂に踵が赤く彩りました。歩行せぬと痛みはありませんが歩行すると激しく痛みますので、又有難やを呼んで祈祷していただきました。矢張り水神様の方があると御願い致しましたが何等変りなく、遂に二週間以上となりました。このままにしておいても困った事と思い、医師より診断を受けました処、病原不明で湿布をしていただきましたが、其結果もよくなく、しかたなく鍼に行く事にし、三カ月間程松葉杖に槌り乍ら通いました、その間三人の有難やさんにも見ていただきましたが大した効果なく、考えた末、別府国立病院にてレントゲンにて診ていただきました処、扁平足との診断がされ、早速義足をこしらえていただきまして、一カ月間程使用して見ましたが何等変化なく困って思案にくれるばかりでした。

最後の手段と福岡大学病院に行き、診断を受けました。レントゲンの結果骨が高いから手術をして骨を削ると言われました。色々と手あてをしても治らず、困ってはいるものの骨を削ればもしかするとビッコになるのではと心配になり、恐ろしくもあり、思案の結果遂に手術を断念しまして帰郷致しました。その後も日々悪化するばかりですので、佐伯市の病院にて診断、レントゲンを受けました処、扁平足との診断を下され、これで二人の医師の見立てが同じですので半ば安心はしたものの、数十日通いましたが一向に変化なく、毎日毎日淋しい思いで半自暴自棄になって、家内子供にまであたりちらして叱りつけるし、家庭内はまったく地獄そのままでした。

ある日知人が遊びに来て「手を振って病気をなおすSという人の処に大変お詣りが多いそうだがお詣りして見ないか」とのすすめで溺れる者藁をも掴むの譬えの通りお詣りを致しました処、手を振るだけでお経も何もあげず、こんな事でと思い乍らS先生が義足を外ずしてしばらくお詣りする様にと言われましたので、疑い乍らも早速実行し、毎日御浄霊を受け、神様のお話しを色々と御伺いし、お守りを受ければ早くよくなるし、だれでも出来るとお伺いし、三日目入信さしていただきました。気持のせいか一日、一日痛みが軽くなる様な気がしますので、もしやと半喜び乍ら、又前から四、五人の有難やから診て貰って何等変化がないので、これ位いな事でと疑い乍らも一〇日間程お詣りする中すっかり痛みもなくなりまして全快致しました。骨を削るとまで言われた病気が余り短時日にて全快致しましたので全快し乍らも疑って見るのでした。その時の私家族の者の喜びはいかばかりでしょう。

明主様有難う御座居ました。厚く厚く御礼申しあげます。

私の家族は山間僻地とでも申しますか、 T村より山道を約一五〇〇米程上った山の中腹にあります。全部で五軒あります。一寸想像も出来ない様な僻遠な所です。便利の悪い処だけに病人でも出来ると大変です。何しろT村より約三〇分も登山せねばならぬのですからお医者もすぐの間に合わず、尚医者も余り喜ばず、その割村に病人のたえまなく、何時もだれかが寝ている状態です、村の方々もどれ程困っていたか分りませんでした。私の入信以来病人が出来ますと御浄霊をしてあげ、すぐ御利益をいただき全快致しますので、それ以来五軒で三〇人入信致し大光明如来様二体、光明如来様三体御奉斎致しまして全家挙って信徒にならしていただきまして、それ以来現在まで一人としてお医者を迎える者なく、数々の御利益をいただきまして日々を楽しく過さしていただいて居ります。

先般村で、健康保険でお医者へ一年間掛からぬ家を表彰致しました折、村全家が表彰を受けまして賞状をいただき、感謝しています。これも偏に明主様の御徳に依るものと感謝申し、万分の一の御恩報じと地上天国建設に御手伝いさしていただいて居ります。今後共御守護を御願い申しあげます。右御礼をかね御報告さしていただきます。

(栄光百三十一号 昭和二十六年十一月二十一日)