インテリの不具者

之は些か言い難い話だが、現在のインテリゲンチャは、一種の不具者と私は思っている。いう迄もなく、信者は知っているであろうから、茲では未信者を相手としてかいてみるが、現在のインテリ階級の思想を検討してみると、唯物神の信者である事は言うまでもない。そこで、此神様の外に、それ以上の素晴しい神様の在す事を全然信じようとしないのである。だから現在のインテリは、所謂片眼と言ってもいいので、立派な不具者であると思う。

処が此不具者が、社会の指導的役割をしているのだから、社会は良くなる筈はない。というのは、指導される連中も、先達が片眼だから、自分達も片目でなけりゃ駄目だと思って、悉く片目になって了っている。つまり片眼が本当の人間と錯覚して了うからである。そんな訳で、偶々両眼揃った人間をみても、彼等は目は一つでいいものを、二つあるとは片輪者だとして、可哀想位に思い嘲笑うのだから何と間違いも甚だしいではないか。

そこで吾々は、此悪い方の片目を治してやり、両眼揃った満足な人間にしてやるのだから大した救いである。つまり、不具者の作った文化であるから、文化も不具になっている訳だから碌でもない世の中は当り前だ。従って、先ず自分は不具者であるを気付かせ、それを治して満足な人間にしてやり、本当の文化世界を教えたいのである。としたら我メシヤ教は、ツマリ眼科の大病院であるから、片輪が嫌いな人は、ドシドシ治しに来給えと勧めるのである。即ち此文は眼科病院の広告と思えばいい。

(栄光百二十八号 昭和二十六年十月三十一日)