医学の考え方

現代医学に於ての、根本的誤謬をかいてみるが、それは考え方の如何にも浅い事である。今其二三をかいてみるが、例えばビタミンが不足しているから、それを補えばいいというが、本来ビタミンが不足するという事は、ビタミン生産の体内機能に故障があるからで、その故障を除けばいい訳である。処が悲しい哉、医学では其故障の発見が出来ないので、止むを得ず口からビタミンを入れるのである。そうして不思議な事には、ビタミンなど知らない時代の人間の方が、現代人より余程健康であったようである。又いつもいう通り下痢であるが、之は汚物の排泄作用であるから、腹の中の掃除が出来て、健康上頗る結構であるに拘わらず、医学はそれを止めて出さないようにするのであるから、恐らく斯んな間違った話はあるまい。処が滑稽なのは下痢に対し、よくお腹が壊れたというが、之を吾々からみれば、斯んな馬鹿々々しい話はあるまい。此事に就て私はいつも言うのであるが、人間の腸は瀬戸物や硝子で出来たのではないから、壊れるなどという訳はないと大笑いするのである。

それと同じように咳や痰、鼻汁、汗等の汚物排泄も、医学は停めようとしたり、熱が出れば氷で冷し、盲腸が痛めば切って除って了うのである。盲腸が痛むのは痛む原因があるからで、其原因を除りさえすればいいのであるが、それが出来ないので切るのだろうが、それに対する言い訳が拙い。曰く盲腸など人間の体には余計なもので、無い方が安全だというのであるから、恐れ入って了う。人間を造られた神様も、呆れて苦笑なさるであろう。又腎臓もそうで、悪いと剔出して了う。斯うみてくると病気に対する考え方の、安直で乱暴なる驚くべきだと言えよう。之が医学の進歩だそうである。

恰度悪い人間を善くするのでなく、邪魔だから放り出して了えというのと大差あるまい。実に非文化的な行り方ではあるまいか。之に就て以前私は現代医学の手術は、野蛮極まると或論文にかいたら、早速警察へ呼び出され、散々御目玉を喰った揚句、過料に処せられた事があったが、之では野蛮は医学のみではなく、司法行政も同じだと思った事がある。

之を一層分り易く言えば、熱が出て冷すというのは、恰度怒った人間を殴って押静めるようなものである。痰や洟、汗、下痢などを止めるのは、ゴミ箱の蓋を釘付けにして、掃除が出来ないようにするのと同様であろう。処が世間一般は之が進歩した医学と、随喜渇仰して生命を御委せしているのだから、開いた口が窄(スボ)まらないのである。以上の如く私は忌憚なく現代医学を批判してみたが、之を読んだら少しは判るであろうと思うが、斯う迄言わなければならないのは、寧ろ悲しむべきである。

最後に結論をかいてみるが、つまり之迄の医学の考え方は、表面に現われた結果を押えつけようとして、それのみを研究して来たので、今一歩深く掘下げる事に気がつかないのである。其結果真の原因が掴めない儘、相変らず邪道を進んでいるのである。一切は原因があって結果があるとしたら、現代医学者も何とか目が醒めて、考え直して貰いたいのである。

(栄光百二十三号 昭和二十六年九月二十六日)