私は今日の放送中「近頃の世相」なる街頭録音を聴いたが、夫々現在の世相に対する不満や希望等を言い、斯ういう処に原因があるとか、斯ういう社会的欠陥が困るとか言い、誰も彼も一致する点は、政治が悪い、教育が悪い、社会悪の為などと言うのであったが、一人として信仰が無い為、と言った者はなかったので、私はガッカリして了った。之を以ってみても、今日の人間は信仰に無関心であるかが、ハッキリ分ったのである。
処がみんなが言っている色々の苦しみは、其根本は悉くといいたい程無信仰の為であって、信仰者になりさえすれば、雑作もなく解決が出来る性質のものであるが、それに気が付かないのだから、可哀想な世の中であり、何時になっても苦しみから脱却出来ないのである。此様に無信仰者が多いという原因は、全く既成宗教を信じ得ないからで、それは余りに無力であるからであろう。としたら人民ばかりを咎める訳にはゆくまいであろう。
従而、何としても宗教の信用を快復し高める事で、それ以外決して方法はあり得ないのである。といっても之は又大変な仕事である。何となれば其条件こそは、信仰をしてる人は、してない人よりも沢山の御利益があり、大いに幸福に恵まれるという現実を見せなければならないが、それによって神様のある事が信じられるのである。処が厄介な事には、今日偉い人程、現当利益を蔑視し、低級宗教的に扱うのだから、自然信仰者が出来ないという訳で、彼等の唯物迷信の為、如何に多くの不幸者を作り、人民の幸福を妨げているか分らない程である。そうして現当利益こそ尊いものはないが、之こそ奇蹟を見せる事であって、之より外に最良の方法はないのである。此意味に於て本教位奇蹟の多い宗教はないにみて、多くをいう必要はあるまい。
放送を聴いて、思いついたままをかいてみたのである。
(栄光百二十三号 昭和二十六年九月二十六日)