対症療法の可否

現代医学は対症療法というが、之程間違った話はない。即ち熱が出たから氷で冷す、痛いから神経を麻痺させて苦痛を免れるというやり方は、ホンの上面に現われた、謂わば病気の結果を対象とするのであるから、治る筈はないのである。何となれば凡ゆる病気症状は症状として現われるべき原因が、何処かに潜んでいるからである。此理によって本当に病気を治すには、症状などは末梢的なものであって、どうしてもその根本原因を探り当て、それを除去しなければならない事は余りにも当然である。

例えば頭痛にしても、脳貧血の為と、発熱の為と両方ある。前者は頸の周囲に固結があり、それが血管を圧迫して貧血する。後者はその固結の溶解の為発熱する、それが頭脳へ影響して痛むのである。又盲腸炎は右側背面腎臓部に、必ず固結がある。それが長い間に少しずつ溶解し一旦盲腸部に滞溜固結していたものが、急に発熱によって液体となり、下痢によって排泄されようとする其痛みである。又手指にできる疽(ヒョウソ)は、左右何れかの頚部淋巴腺に固結した猛毒が、指の先から排泄され様として一旦指頭に溜り、皮膚を破って出ようとし、腫れる為の激痛である。胃痙攣の痛みは、背中にある固結が溶けて、胃へ集まり腸へ下降しようとするその痛みである。凡ゆる眼病は、頭脳に溜っている毒素が、眼から出ようとして、一旦眼に集まる。というように病気症状というものは必ず其本元があるのである。本教浄霊によって医学が足元へも寄り付けない程の素晴しい効果があるのは、全く本元を治してしまうからである。

此点に目醒めない限り医学が何程進歩しても、全治は難しいのである。

(栄光百十四号 昭和二十六年七月二十五日)