祖霊と病気

病気の原因が、祖霊の場合もあるという事は、左に掲ぐる報告によってもよく判るのである。目下霊界に於ては、各家の祖霊は、本教以外真に救われる宗教はない事が、段々判ってくるので、何とかして本教に縋りたいと思い、アレヤコレヤ色々の手段を尽している。それには自分の子孫の一家から救わなければならないので、子孫の中の誰かに憑り、病気を発させるが、其場合多くは子供を利用する。此例などもそれであって、そこで生命も危なくなった子供が、本教々会へ連れて行こうと言っただけで、忽ち生気を取戻し、快方に向ったという事は、目的が達せられた祖霊は安心し、此上は早く病を治してやりたいと思いそうするのである。

危うかった疫痢数回の御浄霊で治る

佐賀県 K・K

我生命甦るさへ嬉しきに医しの業まで許されにけると御讃歌にあります様に、私も二年余りの病より救われると共に、人の病まで治さして戴ける有難い御力を戴き、光明如来様の偉大な御恵に感謝の日々を送っている者でございます、色々と大変な御守護を戴きました内、私の忘れる事の出来ない疫痢と言う恐しい病気を治さして戴きました事を御礼御報告さして戴きます。

昭和二五年七月、畑から帰ってみますと三歳のM(兄の子)が朝から元気がなく、昼から寝ているから見てくれと母が言いますので、行って見ると、大した熱もなく眠って居ましたので、一寸御浄霊をさして戴き、又畑へ出ました、五時頃になり大へんな熱で苦しそうだから早く来て呉れとの事で、ぴっくりして飛んで帰りました、別人の様に目はくぼみ、額には手も当られぬひどい熱、そして苦しそうな息づかい、朝から欠伸ばかりして居たとの事、若しや疫痢ではなかろうかとドキンとしました。実は此頃村に流行して、二、三人の子供が次々と亡くなっています、 家の者も疫痢ではなかろうかと思った様でした、

私は明主様にお念じ申上げ、一生懸命御浄霊をさして戴きました、 然し少し熱が引いたかと思うと又さっと出始め、 なかなか引きません、 息もとだえとだえとなり、七時頃になりひきつけ始めました、家族近所の人、皆んなどうなるかと唯見ているばかりでございます、兄嫁は気がくるった様になり、「どうかして早くどうかして、此儘では死んでしまう」と泣き叫びます、父は「早く医者に行け、死んだらどうするお前は人殺しになるぞ」と言います、然し私はあの長い死の病床から救われた事を思い光明如来様の御力を信じてだまって、一生懸命御浄霊さして戴きました、兄は、「Kどうしたらよかろう、医者に行っても次々と死んでいるとは言え御浄霊だけでは心細い、お前はどう思う、大丈夫か」とおろおろ声、私は「神様におすがりして御浄霊さして戴けば大丈夫だろうと思う、皆救われているそうです、然し兄さんの好い様になさい、私なら教会へお願いに行き度いのですが」と言いました。

私はだまって息もとだえ勝の子供の顔を眺めていました、私は、 明主様お願いします、 どうぞ教会へ行く様にと心の中で手を合せて居ました、 突然兄は「よし教会に行く、 K頼む、しっかりやって呉れ」と言い飛出しました、今迄たえまなく引きつって、もう駄目ではなかろうかと思うほどでございましたが、何と不思議ではございませんか、兄が教会へと出たらすぐ熱が引きはじめたではありませんか、そして顔色も見る見る良くなり、ひきつけるのが遠くなったのです。

ああその時の感激、到底筆舌に現わす事が出来ません、家族一同この有難さにぼうぜんとしていました、兄嫁はMを抱きしめて、「おお助かった助かった、有難うございます」と泣きくずれました、私は明主様有難うございます、明主様!と思わず叫びました、熱い涙が溢れ出るのをどうする事も出来ませんでした。

先生が一里先の教会から、 真夜中をかけつけて下さいました時は、熱が少しあるだけで、息使いも大ぶん良くなっていました、そして夜明になるとすやすやと安らかに眠り、先生から御浄霊を戴きまして、朝は御飯を喜んでたべました。一〇時頃先生がお帰りになる時は、庭までついて来て、御送りして居るのでございました、明主様の御教に疫痢は二、三回の御浄霊で治るとの事、私は身を持って体験さして戴いたのでございます、 入信して間もない私にさえ、 この様な偉大な御力を戴いたのでございます、八月一日待望の光明如来様を御まつりさして戴きました、 罪穢の多き身でございますが、此尊い御神業に御手伝を許されました事は、 何と嬉しい事でございましょう、無力ながら地上天国建設の為、頑張らせて戴く覚悟でございます。

(栄光百四号 昭和二十六年五月十六日)