私の抱負

去る二月十日、神田共立講堂に於て、本教講演会の際、私は出席出来なかったので其趣旨を代読させたのが、左の通りのもので、聴きに行けなかった人の為に、茲に載せるのである。

私は、今日是非皆様に、御目に掛かる筈でありましたが、拠ん所無い事情が出来たので、喋舌る代りとして、之を読ませますから、其つもりで聴いて貰いたいのであります。然し之は信者諸君よりも、まだ信仰に入って居ない方々を目標としてかいたのであります。

御承知の通り、我世界救世教は、昨年の本日から新しく発足したものでありまして其前は日本観音教団と言っていたので之も既に御承知の事と思います。処で此二三年来、急に新聞雑誌やラジオ等で、何や彼や騒がれた事も、大抵の方は御存知でありましょう。然し誠に遺憾な事には、パッと拡がったのはいいとしても、それが飛んでもない拡がり方なので、実は驚いているのであります。というのは白を黒と見られ金を鉛とせられ、プラスをマイナスと言われたのでありますから、本当の事は何れは判る時が来るとしても、それ迄の間世の中を救うという立派な仕事が遅れるとしたら、神様に申訳がないので、従来刊行されている出版物宣伝以外、之からは直接耳からの宣伝も必要と思いますので、それで始めたのが、第一回の今日の此会であります。

前置きは此位にしておいて、偖て今日世界を観る時どうでありましょう。病気、貧乏、争いの三つの大きな災いによって、人類は如何に苦しみ悩みつつあるでありましょう。日本だけに見ても、ヤレ結核、ソレ伝染病、イヤ何々という様に、病院は満員ベットは足りないという様に、恐らく現代人で表面は健康そうに見えても、一つも病気のないという人は、恐らく一人もありますまい。そうかと思や税金苦、金詰り、物価高等で、いくら稼いでも稼いでも追付かず人間は何の為に生れて来たのか、之では苦しみが人生そのものであると言えましょう。又次の争いであるが、之は国内問題は別としても、今や世界を挙げて、空前な大戦争が始まろうとして、人類悉く戦々兢々たる有様であります。此惨状を若し神様が御覧になるとしたら、余りの悲惨事に御助けになられなければならない筈であります。そうでなければ、神様などはないと言われても、返す言葉はありますまい。処が神様はあります。大いにあります。というのは世界人類を普く救わんが為に、我メシヤ教が出現した事であります。

此意味に於て、神が有るか無いかは問題ではありません。我救世教の信者となれば手にとる如くハッキリ判るのであります。若し本教信者となって、その通りでないとしたら、社会を欺瞞する大罪人となるでありましょう。そんな山師的の事は私は真ッ平御免です。自分の首を自分で締めるような、愚かな人間にはなりたくありません。何よりも若し本当でないものとしたら、僅か数年の短期間に之程発展する筈はないでありましょう。茲で一言申したい事は、如何なる宗教でも、其初めは必ず世の中から誤解を受け、迷信邪教とされ、迫害や法難に苦しむものであります。そうして今日世界で一番大きい宗教は、キリスト教でありましょう。其キリストは生前迷信邪教の本尊とされ、遂に十字架の刑迄も負わされたのでありますから、此一事だけでも多くを言う必要はありますまい。而も昇天後僅か十一人の弟子が残って、遂に今日の如き大を成したのであるから、基督教も決して迷信邪教ではなかったのであります。

それは兎に角、簡単に私の抱負を申し述べますが、私は神から与えられた大きな力を以って、何等の物質を使わず、見えざる霊を以って、而も弟子を通じて、凡ゆる病気を治しているのであります。勿論それによって貧乏も解決されます。それは貧乏の原因は、病気が主であるからであります。又世界から戦争を無くす事も出来るのであります、と言ったら皆さんは、余りの大言壮語に唖然とするでありましょう。然し之も本教に入って、実態が判れば、信じない訳にはゆかなくなります。何よりも本教信者全部は、それを確信しているのであります。と言っても入信当時は、例外なく疑っていた人達なのであります。従而、実を言えば本教は宗教ではないのであります。というのは宗教とは其名の如く、宗祖の教えであり、教えによって人々を済度するのでありますが、本教はそうではなく、現実に救の業を行うのであります。此事も昔からの各宗の開祖や、諸々の聖者が立派に予言してあります。例えば、キリストの曰われた“天国は近づけり”釈尊の彌勒の世、日蓮上人の義農の世、天理教々祖の甘露台の世等も、此事でなくて何でありましょう。

余り長くなるから、今日は之で御挨拶に代える事に致します。

(栄九十四号 昭和二十六年三月七日)