アメリカと正義

現在の世界的危機の中にあって、アメリカが中共を侵略者としての、烙印を押すという提案に対し、英国を初め欧州に於る各聯合国は、ハッキリした態度を見せなかったが、今回米国の希望通りの結果を見た事は洵に喜ぶべきである。何しろ第二次戦争の惨禍を嘗めつくして来た欧州の民族としては、煮え切らなかったのも無理はないが、そうかと言って如何なる方策を講じたとしても、今更ソ聯の世界制覇を思い止まらせようとは、到底出来っこないのは、言うまでもあるまい。寧ろ、益々軍備を充実し、隙あらば何処へでも手を出そうとするのは疑いない事実だ。と言って、アメリカと雖も自由民主主義の建前から如何なる努力を払ってもソ聯の野望を打砕くか、さもなければ到底太刀討が出来ないと諦めざるを得ない迄の、強大な軍備を造らなければならない。それが今欧州各国を引摺って、着々其準備に取掛かった訳である。

処が亜細亜の方は、ネール氏が指導役となって、飽迄朝鮮問題を解決しようとしたが遂に失敗したとはいえ、欧州各国と同様、何時ソ聯の手が中共を操って、軍備の乏しい亜細亜を掻き廻し始めるか判らないという心配は、どこも同じであろう。

処でアメリカは、他の国家の意向などに頓着なく、飽迄初心を貫こうとする其正義感は素晴しいものである。勿論同国は強大な軍備が後楯となっている為もあろうが、それ以上にアメリカの伝統的正義感の絶対性である。此正義感こそ何によってなれるかというと、勿論キリスト教の信仰からである事は、最近発表された卜大統領の教書にしても、信仰が味方である事を強調してをり、又マ元帥の重要な宣言の中にも、神という文字が必ずあるにみて肯れるであろう。

飜って、我日本の首相初め要路者や、指導者階級の言説を見る時、信仰とか神とかいう言葉は些かもない、としたら実に心細い限りである。従って日本の指導階級が神、信仰、正義を口にするようにならなければ、仮令講和になったとしても、其前途は安心出来ないのは勿論で、いつ国家の前途を誤まる政治家や、思想が出ないと言い切れないからである。

(栄九十三号 昭和二十六年二月二十八日)