前項に述べた日本が中心である。といふ事に就て、疑ふ人があるかも知れない、それは第一日本は世界の極東になるではないかと、夫に就て説明してみる。
例えてみれば、富士山の頂をみればいい、飛行機に乗って、富士山の上から見下せば、頂は真中になってゐる (ス)の形である、然し横からみれば、頂は端になってゐる。裾野を西とすれば、頂は極東になってゐる理である。
今日迄の、凡ゆる宗教は、西方に生れてゐる。仏教も、基督教も、回々教も、儒教も、道教も婆羅門教も、猶太教も、又日本国内に於ても、その通りである。天理教も、金光教も、大本教も、人の道も、仏立講(ブツリュウコウ)も、生長の家も皆そうである。恰度文化と同じ様にである。
西から、いろいろの種類の宗教や文化が東の中心へ集中されたのは、富士山の裾野から頂へ、沢山の人が登って来るやうな訳であった。求心的であった、そうして、その集ったものを綜合し、コントロールして、完全無欠の文化として、遠心的に、全地球へ向って、放射するのである。
太陽神で被在らるる、(※)天照皇大御神の御直系たる、日本天皇を中心として、八紘に放射する、御稜威の御光を表徴したのが、十六の菊花である。八紘を霊と体に倍加すれば十六紘である。
(※注釈:戦前の御論文には不敬問題を避けるためこのような記述が散見する)
(観音運動 昭和十年九月十五日)