阿呆文学(二) 真理は簡単だ

真理なんかっていうと、恐ろしく七難しいように思い、額に八の字を寄せ、苦虫を踏み潰したような面で、考えなければならないように思うであろうが、それは大違いだ。というのは難しく考えるから難しいんで、易しく考えれば何でもないんだよ。だから其つもりで簡単に考えると、いとも簡単に判るんだ。

人間が飯を食って、お茶を呑んで、空気を吸って、何だ彼んだと文句を言って、糞小便を垂れてそれで兎も角生きている。之が真理なんだ。というと周章者は“オイッ馬鹿にするにも程がある、そんな屁みたいな理屈が、真理などとは馬鹿にするのも程がある”と言ってムクれるかも知れないが、こちらでも負けてはいないよ。ヘン、どちらが馬鹿にしているか、マー耳の穴をカッ穿って、拙者の言う事をよく聞いてみな。お前達は何でも彼んでも難しく難しく考えるから判らないんでアップアップ苦しむんだよ。だから可哀想で見ちゃあおれんから、愈々拙者の虎の巻を展げてやるから、気絶しないよう気を付けろ。

今、人間共が一番苦しんでいるのは、言わずと知れた病気という奴だろう。先ず人間共はチョット病気に罹ると、ヤレ薬だ、ソレ注射だ、手術だとぬかして治そうとする。酷いのになると万物の霊長様を鮒か鯉のように俎板の上へ乗せ、庖丁片手に穴を穿けたり、骨や肉を切ったり、血みどろにして病気を取出すんじゃない、天から授かった大切な臓器を掴み出すんだから、何とムゴイ話じゃ御座らぬか。成程命が助かる為なら我慢もしようが、仲々お誂へ通りにはゆかない。何故かといえば、そこに底があるんだ。といってウッカリ喋舌ろうもんなら、此奴怪しからんといって憎まれたり、怒られたりするから、危くってビクビクものだよ。と言って言わなきゃ人間共が苦しむんだから、マアー要領よく、チョッピリばかり記くとしようよ。

一体全体、人間という代物は誰が作ったんで御座んしょうかだ。今仮に此事を大勢に訊いてみよう。すると大抵の奴、答に間誤つくだろう。それで仕方がないから、当節流行の投票とやらで、点数を採ってみるんだ。すると先ず斯んな具合だろう、判らないという人が八十点、判るという人が二十点位だろう。そこで判るという御仁に訊いてみると、造物主という神様が造ったというに違いない。無論人間が科学的に機械で造ったという御方は一人もあるまい。してみると科学で造ったものでない代物を、科学で直そうとするんだから、凡そ無理では御座らぬか。マサカ自動車が壊れたんじゃあるまいし、機械や油じゃ駄目に決っているよ。ではどうすればいいというと、言うには及ぶで、神様が造った品物なら、ヤッパリ神様に御願い申すより外に、治る訳がないじゃ御座んすまいか。処が之にお気が付かないんだから、人間様の頭もチトどうかしていると言いたいよ。

だから拙者等が病気を治そうとすると、実によく治る。みんな吃驚して目の玉をキョロキョロさせる。最新とやらの科学療法で治らない病人が、ドシドシ治るんだから、不思議だ不思議だと言うが、ドッコイ不思議でも何でも御座らぬ。人間を造ったお方に治して頂くんだから、治るのは当り前で治らないのが不思議だよ。

次に、話は別だが、今拙者等がやっている自然農法だ。肥料をやらない程、米でも麦でも野菜でもウンと穫れるんだから、百姓君は目のクリ玉をデングリ返えして吃驚するんだ。だが仲々分らない。曰く“ソゲーナ、馬鹿な事が此世の中にあってたまるもんケー。デー一人間だって飯を食わなきゃ生きていられねえじゃねえか。作物だって同じコンだ、肥料は作物の米の飯なんだから、之をやらなけりゃオッちんじまうに決っているのでがすよ。だから儂等はソゲーナ馬鹿な事は出来るもんじゃねえんだ”と仰言るんだ。成程御尤も千万で御座るが、茲でチョッピリ考えて貰いたい事がある。一体土というものは何の為に誰が作ったのかという事だ。之も人間様と同様、造物主という神様が御造りになったものには違いないんだから人間共が食うだけの品物はチャンと育つように出来ているんだよ。之もヤッパリ真理なんだから仕方がないんだ。だから余計な事をしないで、土だけに委せておけば、人間共がいくら増えてもチットも困りゃしないんだよ。何と結構に出来ているでは御座らぬか、だから百姓君の言うような作物の食い物は、糞や毒薬や小便粕のようなものじゃないんだ。お土という結構なものが作物にとっては何よりの御馳走で、土程美味しいものはないんで、土は肥料の塊りなんだよ。処が馬鹿なのは人間共だ、奇麗な美味しい土を食わせないで、汚い不味い色々な変なものを食わせようとするんだから、土も作物も糞面白くもねえと言って、怠けて了うんだ。だから人間が生きるだけの食物が穫れないのは当り前だよ。そこで仕方がないから、人の国で出来たものを分けて貰って、漸く命を繋いでいる有様だから、豊葦原の瑞穂の国も何と情ない事になったんでは御座らぬか。恐らく世の中にこんな骨折り損の草臥儲けの安本丹はあるまい。それにお気が付きそうなものだが、人間余ッ程頭が空ッポになったと見えて、今以てお気が付かないんだから、流石の神様も捨ててはおけぬ、助けてやれとの思召から、此拙者に御命令が下ったので、拙者も彼の手此手で、今一生懸命目醒ましをやっているんだよ。貴い肉体を下さった神様に、こんな余計な御手数を掛けるんだから、実に勿体ない話じゃないか。

偖て、余り長くなるから、此位にしておくが、右の通り病気でも、農作物でも、ワザワザ余計な手数を掛けて、命を失くしたり、食い物を穫れなくしたりして、年中ブツブツ愚痴ばかりホザイている人間共を、見ちゃいられないんだ。だが之もみんな真理に外れているんだから、自業自得と言いたいが、それじゃあんまり可哀想だから、茲に真理というものをかいたんだ。だから之を読んでよくよく肚の中へ叩っこんで、一日も早く実行する事だよ。そうしたなら有難くて涙が零れる程よくなるんだ。ドージャ、判ったか、虫ケラじゃない、人間共よ。

(栄光八十七号 昭和二十六年一月十七日)