今年の予想

新春に当って、恒例により今年一年の予想をかいてみるが、それに就て言いたい事は、昨年の新年号に一九五○年は大変な年で、尋常では済まされない。何か今迄にない大きな異変があるに違いないといった。それは世界の大転換期に当るからであるといった事は読者は記憶にある筈である。処が果して五月八日から本教団に対して当局の大手入れがあり、同月廿九日から私は獄舎の人となり廿二日間陽の目を見なかった事は、生れて以来初めての大きい受難であった。処が六月十九日出所するや、七日目の廿五日朝鮮動乱の口火が切られた。之が契機となって、今日の如き第三次大戦免れ得ないという事態に立到った事は、幸か不幸か私の予言通りになった訳である。

そこで、今年はどうかというと、言う迄もなく昨年来の引き続きで、世界の運命は容易ならぬ段階に発展するであろう。今連合国特に米の真剣な大戦備は御覧の通りで、結局龍虎相打つ悽惨な場面は必至と見るべきであろう。

処が、何よりも我日本の運命である。此世界的大禍乱に囲まれるとしたら生やさしい事ではなく充分な覚悟をしなくてはなるまい、勿論ソ聯の目的は欧羅巴は別とし、アジヤの攻略に対しては、何と言っても狙いは日本であり、其足掛りが今度の朝鮮動乱である。としたら前途は明かである。最近に於ける外電といい凡べての空気は段々それがハッキリして来た事は争えない。其様な訳で現在最も注目すべきは中共軍の動静である。今度の国連総会に於る中共から提出した条件に対し、些かの妥協点も見られず、飽迄突張っている処をみても、余程の確信があると見るべきであろう。従って中共軍の準備全くなるや一挙に進撃を開始するか、或は聯合軍を出来るだけ引寄せて釘付けにし、そうしておいて欧羅巴方面に手を着けるのではないかとの憂慮にや昨今米の指導の下にアイゼンハワー元帥を立て、大軍備に取掛ったのであろう。若し前者とすれば日本にとっては愈々重大問題である。何となれば連合軍の劣勢は、敵を迎えるだけになるには急には間に合わないという訳で、最悪の場合一旦南鮮を放棄するの止むを得ない事になろう、としたら我邦にとっては愈々大問題である。

何しろ日本は丸裸であるからである。有ていに言えば、太平洋戦争よりも比べものにならない程の一大危機を孕んでいる。勿論全然無防備国家である以上敵に対し思うがままの蹂躪に委すより致し方ない。勿論そうなったら米国と雖も必死の援助をするには違いないが、万一それが、思うように間に合わないとしたら一大事だ。之を考える時到底凝乎としてはおられない我国の現状である。

実に日本は、生か死かの岐路に立たされている。之に就て想い起すのは、彼のカイゼルが、勝利の見込なしと決るや、此上は奇蹟あるのみと悲鳴を上げたのも、日本が此間の戦争末期に神風に期待した事など、どちらも何の徴も見えず、遂に敗北の運命となったのは、今猶記憶に新なる処である。故に今時神に縋れなどと吾々が叫んだ処で、信ずるものは幾人もあるまい。だが吾々には絶対的確信がある。というのは今度始まるべき大戦は、原爆戦争であってみれば実に文明の大破壊となり、聖書の予言にある“世の終り”の様相を遺憾なく呈するであろう。又聖書には“世の終りの時、メシヤが現われて救わせ給う”という事もある。従ってそれを信じる吾々としては、絶体絶命の断末魔となった時、茲に栄光の雲から輝いて降臨され給う救世主を、期待して止まないのである。

次に、本教に就て、今年の予想をかいてみるが予て造営中の熱海地上天国は、漸次進捗し、大体会館の建つ晴々台は固より梅林山、桜の園等は今春中に出来(シュッタイ)の見込であり、次いで会館の建築に取掛るが、之も今年一杯で出来の予想であって、之だけで全体の約三分の一が完成する訳になる。それから石雲台上に建つ美術館竝びに、種々の計画や、中央観覧台の上に建てる展望台、其周囲に造る百花の苑、其他新機軸の種々なものは来年以後になろう。

次に、今度浄霊法が変ったに就て、今迄よりも何倍の治病効果を奏し、魂の向上も促進される以上、教線の発展も大いに見るべきものがあろう。又、全国的に座談会、講演会等も開催の運びとなると共に、本教独特の刊行物は、益々精彩を発揮し、如何に本教が卓越せる宗教であり、国家社会にプラス的存在であるかという事が、段々世の中に判るのは今年あたりから一層顕著になろう。

それから、自然農法は年を経る毎に、愈々増産の実が挙がり、信者未信者を問わず、実行者は益々増える結果、農民層に教線拡大は大いに期待されるであろう。

茲で最後に知らしたい破天荒の計画がある。それは私が前々から、神示によって知り得た処の、新文化の設計であって常に私が唱えているのであるが、今日迄は経綸上の都合で、或程度以上はかけなかった為、徹底味を欠いた怨があった。処が愈々時期到来した、というのは今現に見る世界の一大危機である。言う迄もなく此儘としたら前途は如何になりゆくや、暗澹として絶望以外の何物でもあるまい。茲に到って神は私をして大いなる救いの力を行使させるのである。先づ災の依って来る処の根本原因を、徹底的に普く人類に開示され、本教のモットーたる病貧争の三大苦を絶無にされる事である。

此論文は、恐らく空前の世界的大著述であろう。何となれば之を基本とした文化によらなければ、人類は救われないからである。従って此著こそ廿世紀のバイブルであり、天国の福音である。そうして今迄私は、長い間之をかきたいと思っていたが、何しろ知らるる如く私は超人的多忙を極めており、其暇が得られなかった。処が御承知の如く今度新築された仮本部は今迄よりもずっと広く、参拝者の収容力も何層倍に増えたので度々出張る必要もなくなり、今迄一カ月廿一日間であったものが、九日で済むようになったから、それだけ余裕が出来たので、之は全く神意である。

従而、此著が完成次第英文に訳して全世界の大学及び著名人に普く配布し、真の文化とは如何なるものであるかを知らしめ、凡ゆる智識人の覚醒を促さんとするのである。

キリストの曰った“天国の福音を洽(アマネ)く宣べ伝えらるべし、然る後末期到る”とは、此事でなくて何であろう。

(栄光八十五号 昭和二十六年一月一日)