一種の人権蹂躪

今、人権蹂躪擁護週間だから、かいてみるのであるが、一般に人権蹂躪と言えば、個人的のもののみのように思われるが、私の言わんとするのはそれとは違った団体権蹂躪である。例えば去る十二月二日、夜のラジオ放送の地方便りの中、静岡県からの放送に、次の如き事があった。

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はいはい静岡の長田です。御承知の様に、お光り様は終戦後の混乱に乗じて、人類から病と貧乏と争いをとり除くと称え、ぐんぐん信者を三十万も集め熱海温泉を本拠にいまでも凡そ五十五億円に上る財産があると云われています。

去る十月十一日の第一回の公判の時にも、お光り様の岡田教祖は新型高級自動車でのりつけ、傍聴席をうづめた信者達に迎えられ、弁護人席には元司法大臣、小原直氏他十三人が居並びこの弁護費用も凡そ三百五十万円を下るまいと噂されて居ます。

最近のお光り様について地元の熱海警察署に聞いてみますと相変らず五百人以上の参詣者があり、而も華々しく着飾った若い娘さんも多く、熱海桃山には、お光り様の本堂である地上天国、凡そ三万坪が建築中であると伝えています。取調べに当った静岡地方検察庁の吉良検事は『まあ私の取調中にも雨の中に土下座して信者が岡田を拝むような変った風景があった』アナ『弁護士が大勢ついて大がかりでやっており相当強いようですがどうなるでしようか』『勿論有罪と確信して居ます。いくら生神様といわれても、多くの役人達を金の力で堕落させた岡田の責任というものは徹底的に追及されねばならぬものだと思います』と語り又町の人々はお光り様について『お光り様は邪教だね。あんなのがはばをきかすのは日本文化の低い證拠だと思います』とものべて居ます。去る九月には係りの吉良検事にあて、新潟のある母親から『一人娘がお光り様にこって家の金を今迄に八万円ももち出して居り困って居ます。是非この悪い夢からさまさせて下さい』と切々たる情をつめて訴える手紙も出ているということです。静岡からその後のお光り様についてお伝えします。(此れは放送記録による) 

之を聴いた限りの人は、随分思い切った放送と驚いたであろう。勿論本教に対して名誉毀損であり、信用を傷つけるのも夥しいものがある。而も虚偽捏造的の内容が殆んどで、取敢ず静岡放送局に、本教係りの者が赴き調査した処、左の如き事が判った。

最初の吉良検事の録音放送であるが、之は不問に附し難いので、弁護人より釈明を求める事にしたが、其理由を簡単に言えば、事件は未だ公判を開始したばかりで、裁判の核心迄には到っていないので、審議の結果でなければ、白か、黒か判らないに拘わらず、今日有罪を確信するなどと言うのは、甚だ不謹慎で検事の言うべき言葉ではないとは専門家の言である。由来人も知る如く、民主主義とは、有罪と判定さるる迄は、白紙を以て観るのが本当とされている。としたら、検事と雖も最初から有罪と決めてかゝるとすれば、公平な裁判など出来よう筈がないと言えよう。故に其点あく迄追及し、責任を問う積りである。

次の新潟県の一老母が、娘が救世教に騙されて八万円の大金を献金したので困っているという事であるが、之が事実とすれば、本教は黙視する事は出来ない。何となれば本教の建前たるや、不幸に悩める人を幸福にするのである以上、たとへ一老母と雖も、不幸な境遇に陥入れたとしたら、吾等は大いに責任を感ずるのである。従って早速本人を訪ねて、よく事情を聴取し、事実としたら献金全部を返還すると共に、将来安心して老後を暮せるよう、考慮を払わなければならないと思うので、放送局に宿所姓名を訊ねた処、吉良検事からの投書によるというので、目下同検事に問合せ中である。

次の熱海市民の声として、メシヤ教は邪教云々とあったが、之はどうも合点がゆかない。というのは、熱海市民は本教に対しては、日頃から非常に好意を持っているので、仮令、一人の声と雖も録音まで吹っ込むんだから、余程の確信がなくてはならないと思うので、本人に会って何処に邪教の点があるかを訊き、それが確実であれば、本教と雖も充分反省しなければならないのである。又放送局も少し変だと思うのは、本教に対する非難の声のみで、それと反対の声を放送しないで、之では公平の扱いとは言えないから追及した処、局員主脳者は、録音班が持って来た其儘を放送したと言い、其非を認め低頭平身大いに陳謝したそうであった。

右は、今日迄のありの儘の経過をかいたのであるが、全放送を通じて冷静に検討する時、誰が目にも悪意が含まれている点と、軽蔑的に扱われた点は認めない訳にはゆくまい。而も此放送は全国的であってみれば、本教に対し如何に重大なる被害を蒙らせたかは、測り知れないものがある。第一検事が有罪を確信するとすれば、一般人は救世教には必ず何か不純なものがあるに違いないと思うだろうし、又家族の一人が騙されて大金を上げさせられるとしたら、そんな宗教にはウッカリ近寄れないと恐れをなすであろう。又御膝元の熱海市民が邪教というのだから、此言葉は相当信用してよかろうと思うであろう。

右の各種の事項による悪影響は、到底看過し得ないものがある。而も本教の推察によれば、事実有り得べからざるもののみにて、恐らく何者かが為にする意図で、捏造されたものに違いないと思われるのである。

最後に、一つのナンセンスをかいてみよう。検事の言葉の中に、本教は官公吏を堕落させたというが、之は可笑しな話である。仮に其通りだとすれば、官公吏は元々立派な人達であるが、本教が堕落さしたというのだから、本教のみに責任があって、官公吏には責任がない訳である。だから検事の言に従えば、現在の官公吏は、本教のような怪しからん誘導者がなければ、堕落せずに済む立派な人達である。何と心強い日本ではある事よ。

(栄光八十四号 昭和二十五年十二月二十七日)